北朝鮮拉致被害者帰国の舞台裏には安倍晋三と中山恭子の活躍があった

今回はウズベキスタン大使時代にキルギス日本人の拉致人質問題を単独交渉で解決した中山恭子さんの二つ目の武勇伝である、拉致被害者を北朝鮮から5名帰国させた功績と、一時帰国とされたその5名を全員日本へ留まらせた舞台裏を中心に調べました。

◆中山恭子さんウズベキスタンから帰国後に北朝鮮の日本人拉致問題において致被害者家族担当の内閣官房参与に就任 画像

 

ウズベキスタンの大使を退任した直後、2002年9月には中山恭子さんは今度は北朝鮮の拉致被害者の家族担当の内閣官房参与に就任します。

 

中山恭子さんはウズベキスタン大使時代に起きた日本人拉致誘拐人質事件を無傷での人質解放まで導いた功績を買われ、当時状況が動きそうな北朝鮮の拉致問題についても力を貸して欲しいと当時の福田官房長官から懇願されたという事です。

 

 

武勇伝を買われ、新たな大役!

 

「ギクシャクしている外務省と拉致被害者家族との中に入って融和を図って欲しい
引用元:https://plaza.rakuten.co.jp/komamenohagisiri/diary/201410120000/

 

外務省と
被害者家族の懸け橋
となることを託された!

 

のちの第一次安倍内閣では内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)に任命され、同時期に政府に設置された拉致問題対策本部の事務局長に就任します。2007年9月に発足した福田内閣でも中山恭子さんは内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)に再任することになります。

 

 

◆2002年中山恭子さんが家族担当の内閣官房参与就任直後に拉致被害者5名が日本へ帰国!安倍晋三氏と共闘し実現! 画像

 

中山恭子さんという方は移動直後に大きな局面にあたることが多い運命なのか?北朝鮮の拉致被害者家族担当の内閣官房参与に就任した翌月である2009年10月15日、北朝鮮から拉致被害者である5名(地村保志さん夫妻・蓮池薫さん夫妻・曽我ひとみさん)の帰国を実現します。

 

 

しかし、日本国政府は、
拉致被害者5名を
全員1.2週間で
北朝鮮に送り帰すと本気で決めていたらしい!

 

 

この局面においても、
中山恭子さんが絶大な人間力と力、勇気を発揮します。

 

 

◆中山恭子さんが携わった北朝鮮拉致問題とは?なぜ日本人拉致被害者はさらわれたの?画像

 

その前に一旦、北朝鮮による拉致問題を振り返ると、1970年代から1980年代にかけて日本国内の各地で日本人が突然不自然な形で失踪することが続いた事件です。

 


画像:産経新聞

 

のちに北朝鮮の工作員土台人と呼ばれる対日工作の為に利用された在日朝鮮人、朝鮮に亡命した赤軍派グループであるよど号グループなどによって、日本人被害者が拉致され北朝鮮へ連れ去られたことが発覚した、日本と北朝鮮における国家問題である連続事件です。

 

日本政府が認定している認定拉致事件は1977年から1983年に起こった合計12件、認定拉致被害者は17名です。認定されているものがこれだけであって、特定失踪者問題調査会では数百人、警察当局では900人以上の失踪者について拉致の可能性を示唆しています。

 

 

◆拉致問題が起こった原因?①朝鮮統一問題における北朝鮮の対韓国工作の一環としての現地化工作員確保の目的として 画像

 

拉致問題がなぜ起こったのか?ということについて、

日本人がかなり昔に北朝鮮にさらわれて帰国が困難な状況になっている問題のようだ、ということは国民の大多数が認識していると思いますが、ではなぜ?日本人がさらわれてしまうことが続いたのか?という点についてはよく知らない人も多いようです。

 

 

もともとは朝鮮統一問題。

 

1950年、北朝鮮が朝鮮半島の主権をめぐり、第二次世界大戦末期に事実上の国境戦となっていた38度線を越えて韓国(1948年に成立したばかり)へ侵略することで朝鮮戦争が勃発します。

 

1953年に国連軍と中朝連合軍による朝鮮戦争休戦協定が成立したため北緯38度線を軍事境界線として休戦、しかし、朝鮮半島はそれによって確定的に完全に北朝鮮大韓民国に二分されてしまいます(お互いに国家として承認していない)。

 

 

さらに3年に及ぶ戦争で朝鮮半島全土が戦場になったことで荒廃し、インフラ、文化財の消失、戦闘における死者だけでなく、双方の国においてスパイとみなした一般市民の大量虐殺事件を起こし、両国ともに甚大な物的、人的被害を被っています。(韓国も1960年代前半までは世界最貧グループの経済状況だった。)

 

韓国での保導協会員虐殺事件」として公式に確認されているものは4934人だという事ですが、実際にははるかに大量の虐殺が国内では行われていたようです。

 

「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会」の研究では60万人から120万人が虐殺されたとしている

李承晩大統領が失脚した1960年の四月革命直後に、全国血虐殺者遺族会が、遺族たちの申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている

韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会」は朝鮮戦争の初期に韓国政府によって子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害し、排水溝や炭鉱や海に遺棄したことを確認している。

引用元:保導連盟事件(Wikipedia)

 

そうして、1953年に休戦状態に入った北朝鮮と韓国でしたが、北朝鮮は朝鮮戦争からの復興がひと段落した1960年代以降、韓国に対するスパイ活動を強化していきます。

 

序盤は北朝鮮の工作員がスパイ活動韓国の社会不安をあおる活動を韓国国内で行っていたようでしたが、当然韓国側も警戒し、韓国当局による北朝鮮工作員の摘発が相次ぐことになります。

 


画像:https://blog.goo.ne.jp/hikarinonakama/

 

在日韓国・朝鮮人らを抱き込んで、韓国に入国させる形での対韓国工作活動の遂行が困難になってきた。
引用元:Wikipedia

 

そうしたことから、北朝鮮にとって地理的に近隣であり、かつ国際社会からの信用度も高い日本の国民がターゲットとなったと言われています。

 

日本人に成りすまして
工作員を韓国に入国させる手口が有効と判断。

 

 

日本国籍のパスポートは韓国だけでなく、世界各国への出入国についても便利だという考えもあったと言われています。認定されている拉致問題では1977年(昭和52年)から日本人が北朝鮮により拉致されています。

 

また、日本人だけでなく、1978年にはイタリア、ノルウェー、レバノン、シンガポール、マカオ、香港など世界各地で韓国人を含む様々な国の人々が北朝鮮へ拉致されています。

 

 

拉致は北朝鮮における
根付いた国家体制

 

●【第一期(1946年-)】建国から朝鮮戦争休戦までの金日成時代
北の恐怖政治から知識層が南へ流れた為「南朝鮮からインテリを連れてくることについて」と題した韓国人拉致指令を出す。朝鮮戦争中は50万人のソウル市民を北へ連行する計画もあった。(休戦までに9万6000人が拉致されたとの話)

●【第二期(1953年-1970年半ば)】朝鮮戦争休戦から1970年代半ばまでの金日成時代
韓国漁船のを襲い、漁船と乗組員の奪取を目的とする拉致。

●【第三期(1975年以降)】金正日が後継指名された後の時代
工作員の現地化教育、現地化のための現地人の拉致。(1977、1978年が最多被害)

●【第四期(1990年代後半)】北朝鮮の飢餓の蔓延で脱北者が急増した金正日時代
脱北者、脱北支援者の韓国人や朝鮮系中国人が標的となった中朝国境や中国から東南アジアに抜ける際の雲南省等での拉致。

 

 

◆拉致問題が起こった原因?②北朝鮮の技術補填の為の特殊技能者と脱北を防ぐための配偶者の人材確保・日本国籍の盗用目的として 画像

 

もう一つ、日本人を拉致した理由としては、朝鮮戦争によって壊滅的な被害を受けた北朝鮮には国を復興させるための人材も不足しており、北朝鮮が国際的に立ち遅れている分野に関する職業(「印刷工」「医師」「看護師」「機械技術者」)についている人材を集めたとも言われています。

 

 

特定失踪者問題調査会の調査結果では、拉致された、または拉致された可能性が濃厚な人が失踪前に従事していた職業が前述のような特殊技能を持った人々に集中していたようです。

 

また、これら特殊技術者の拉致後の脱北を防ぐ方法として人質となる家族を持たせる為、そのための日本人被害者の配偶者のための拉致も多数あったのではないかと言われています。

 

 

<北朝鮮による拉致の目的まとめ>

工作員利用目的の拉致
工作員の教育係としての利用目的の拉致
特殊技能者の確保のための拉致
・拉致被害者、外国人の脱北防止のための配偶者(人質)利用としての拉致
・拉致現場、工作現場目撃者を隠蔽目的で拉致
日本国籍の身分盗用目的のための拉致
反北朝鮮思想の活動家、脱北支援者の拉致
・南へ北朝鮮の優位性を宣伝する目的での拉致

 

つまり、拉致問題は
朝鮮半島の問題に日本が巻き込まれた形。

 

◆中山恭子さんが内閣官房参与として携わった北朝鮮拉致問題の経緯と北朝鮮訪問までの状況 画像

 

さて、そうして、2002年にウズベキスタン大使の役目を終え、帰国した中山恭子さんは小泉内閣の内閣官房参与として北朝鮮の拉致被害者の家族担当となります。

 

 

この頃、ブッシュ大統領率いるアメリカが北朝鮮を「北朝鮮はイラク、イランと共に『悪の枢軸』」として敵視政策を開始し、北朝鮮への食料輸出等、一切の国交関係を断つという制裁を加え始めていました。

 

相次ぐ凶作が続き、国民が餓死する状況があった北朝鮮の金正日総書記は、危機脱出の為、日本からの資金目当てで日本との関係改善を希望するようになっていました。

 

 

まさに拉致問題進展
における千載一遇のチャンスが訪れていたのです。

 

そこまでにも北朝鮮と日本の間で拉致問題には経緯がありました。1980年代までに突然失踪した日本人の行方は長い間謎のままでした。

 

それが急展開を迎えたのが1987年の大韓航空機爆破事件における工作員・金賢姫さんのその後の証言からでした。(のちに金賢姫さんが証言において日本人の立ち居振る舞いを教わった「李恩恵(リ・ウネ)」という女性が、日本政府が認定されている拉致被害者である田口八重子さんと同一人物だと確認されています。)

 

 

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金賢姫さんが生きていなかったら、大韓航空爆破事件は日本人によるものとして歴史が残った可能性がありました。

 

北朝鮮による拉致の疑いが分かった時には被害者家族は外務省へ掛け合い、被害者の救出を依頼しましたが、外務省による回答はこのようなものだったと言われています。

 

拉致問題の解決には北朝鮮との国交回復に10年交渉に10年、あわせて20年かかる。

引用元:https://ameblo.jp/fantastic-future/entry-11547443322.html

 

気の遠くなるほど
時間がかかる険しい道のり

 

1991年以降、日本政府は北朝鮮へ「拉致問題」についての提起を繰り返してきていましたが北朝鮮側はずっと全面否認を続けている状況が続きました。

1997年拉致被害者の救出を求める議員連盟が発足し、日本国政府が認定する拉致問題、被害者として7件10人の拉致被害者を認定しました。(横田めぐみさんの実名報道開始から報道も増え、国会にも取り上げられるようになる。)

同年、北朝鮮側は北朝鮮系の在日朝鮮人の団体である朝鮮総連と共に「拉致は捏造」と主張続けます。

 

「拉致は捏造」の
一点張りを貫く北朝鮮
という時代が長く続いていた・・・。

 

ちなみに、北朝鮮だけでなく、「拉致は捏造」と叫んでいた人は日本国内の政治家にもいました。社民党の辻本清美議員は、自身の公式ホームページにおいてこんな言葉を長らく掲載していました。

 

「(拉致問題は)新しく創作された事件というほかない」

 

 

また、のちになぜか首相となる村山富市氏や菅直人氏も、
横田めぐみさん、原敕晁(ただあき)さん、地村保志さん夫妻拉致実行犯である辛光洙(シン・グァンス)元死刑囚の無罪釈放を求める嘆願書に署名しています。

 

解決を遠くする人々

 

そして、政治的な絡みも強い、元インドネシア大統領の第三夫人だったタレントのデヴィ・スカルノ夫人も過去にこんな内容をブログに書いている状況だということです。

 

 

北朝鮮が大好きなデヴィ夫人。

 

『拉致被害者のご家族の方々に、伏してお願いしたい。日本と北朝鮮両国の為にも諦めていただけないでしょうか』

引用元:デイリーニュースオンライン

 

どうしてこのような発言になるかというと、スカルノ元インドネシア大統領と北朝鮮の故金日成主席は大変親密な関係にあったそうで、デヴィ夫人も少なくとも6度にわたり訪朝をしており、国賓待遇を受け続けているからのようです。

 

 

インドネシアが金日成花(キムイルソンファ)、金正日花(キムジョンイルファ)と名前を贈った蘭があるそうです。

 

デヴィ夫人の溺愛する孫であるキラン君が北朝鮮へ何十年にもわたって不当に拉致されても同じことが言えるの!?と日本国内からは強烈な批判を浴びたようです。批判についてもさらにブログで説明もされているようです。。

 

横田夫妻に私が伝えたかったのは、 同じ娘を持つ母親として、夫妻の悲しみは理解するけれど、 日朝国交正常化の妨害になるような活動は控えて欲しいとお願いしたのです。

引用元:デヴィ夫人公式ブログ

 

外務省と同じ意見ですね。

 

話は戻って、そこへやってきた千載一遇のチャンスとして北朝鮮の金正日総書記から日本へのまさかのアプローチ。日本との関係改善を希望しているということで、当時の小泉純一郎総理大臣が北朝鮮訪問を実現させます。

 

 

しかし、外務省の訪朝における最大の目的は「拉致問題解決」ではなく、「北朝鮮との国交正常化」だったのでした。

 

拉致問題解決 < 国交正常化

 

「たった十人ぐらいの(拉致被害者の)ことで日朝国交正常化がとまってもいいのか、拉致にこだわり国交正常化がうまくいかないのは国益に反する
引用元:産経新聞

 

これは当時の外務省の槇田邦彦アジア局長の自民党外交部会での言葉です。(のちに元々は河野洋平外相が言っていた事の代弁と外務省幹部は語っています。)

 

 

山崎拓と共に北朝鮮からの食糧要請は最大限すべきであり、拉致疑惑のせいで支援出来ないのは議論の余地があるとして北朝鮮への50万トンのコメ支援を決定した。

引用元:Wikipedia

 

外務省は
北朝鮮側のメンツを立てた形でお膳立て。

 

槇田邦彦アジア局長の後任となった外務省からの田中均アジア大洋州局長は日朝首脳会談に向け「国交正常化」という最大の目的の実現のために、「日本政府を代表する総理大臣が北朝鮮にわざわざ足を運び、頭を下げて大金を支払ってお願いしに上がる。」という交渉成立のお膳立てをします。

 

 

田中均氏は確かに2001年末から30回以上にわたって水面下での交渉を続け、日朝首脳会談を実現させた立役者ではありました…。

 

「外務省は伏魔殿」
というあの言葉が確かによぎるんですけど。

 

 

そこからのコレだったの!?

 

こうした対北朝鮮外交の実務責任者の発言、行動を並べてみると、彼らには一貫して拉致事件が日本の主権問題であるとの認識も、日本国民の生命の安全に対する責任感もまったくないことは明らかである。

引用元:日本政権研究センター

 

国交正常化が最大の目的!

 

その為には北朝鮮に対する「拉致被害者の問題」への余計な追及は、むしろその交渉にとって邪魔になるというのが外務省の考えであることは明らかでした。

 

 

◆2002年9月 日本政府代表として小泉純一郎総理大臣が北朝鮮を訪問!「日朝首脳会談」の裏側で「日朝平壌宣言」調印までの駆け引き、拉致問題を動かした安倍晋三官房副長官が凄かった! 画像

 

その「伏魔殿」外務省が日朝首脳会談の為に準備した「日朝平壌宣言」を当時の官房副長官であった安倍晋三氏が初めて目にしたのは飛行機が日本を飛び立った後である機内の中だったそうです。

 

 

「拉致問題」に関する文言が一言もない!!

 

そこで、安倍晋三官房副長官はその「日朝平壌宣言」について強く抗議をしましたが、既に宣言文の内容については外務省の事務方と北朝鮮の事務方で合意に達しており、変更は到底困難という空気だったようです。

 

「金総書記に決して笑顔を見せないでください。」
引用元:産経ニュース

 

安倍晋三官房副長官は小泉純一郎総理大臣にこう伝えていました。

 

 

安倍晋三官房副長官はそして、小泉純一郎総理大臣に北朝鮮での首脳会談の際に「拉致問題について話題にしてください。」と強く求めたそうで、小泉総理大臣も了承し、早々に「拉致問題」について北朝鮮側に話題を振りました。

 

その時の北朝鮮から回答は、のちにその場しのぎのデタラメの情報だったと分かりますがこのようなものでした。

 

「5人生存8人死亡1人未入国」

 

 

当初の拉致問題についての北朝鮮からの報告は残酷なものでしたが、これまで拉致問題についての関与を全面否定してきた北朝鮮側から5人の生存が明言されたことについては前進でもありました。

 

安倍晋三官房副長官に「厳しい抗議を」と進言された小泉総理大臣はこの件について北朝鮮側を非難しますが午前中の会談ではこの件は北朝鮮側には黙殺されたままだったそうです。北朝鮮からの謝罪もなければ、国家の政策として行ったことも触れられませんでした。

 

このままではとてもまずい。

 

安倍晋三官房副長官はここで誰にも知らされていなかった秘策を独断で遂行します。

 

 

◆中山恭子さんが拉致被害者家族担当としてあたった北朝鮮「拉致問題」を前進させたのは小泉純一郎首相ではなく、安倍晋三官房副長官の日朝首脳会談「昼休憩」での一人芝居だった!?画像

 

それは、日朝首脳会談の「昼休憩」で起こります。安倍晋三官房副長官は控室に入ると一人で大声を上げ、日本側で拉致問題について厳しく北朝鮮を非難しているような一人芝居を独断で始めたのだそうです。

 

 

拉致問題に前進がないなら
日本は調印しない姿勢を
一人芝居を安倍さんが熱演。

 

「拉致したという白状と謝罪がないのなら、調印は考え直した方がいい。今すぐ帰りましょう!」
引用元:ねずさんのひとりごと(西村眞悟H14年談)

 

この会話は、
必ず盗聴されている。

 

この部屋での会話は必ず盗聴されているという認識の元で安倍晋三官房副長官がうった一世一代の大芝居でした。日本政府側も安倍晋三官房副長官以外、誰も予想しない行動だったため、その状況には皆大変驚いたようです。

 

メ―専務
 

このあたりがさすが政治家の家で育ったサラブレッドという印象です。

 

 

サラブレッドは
名役者でもあった!

 

安倍晋三官房副長官の頭の中には、北朝鮮側の腹の中も見据えた考えがありました。

 

「日朝平壌宣言」が
果たされなかった時に、
一番困るのは北朝鮮。

 

日本が怒って帰国し「日朝平壌宣言」への調印が果たされなかったら、北朝鮮はいよいよ危機を脱する手段がなくなる。一番困るのは北朝鮮自身なのだ。日本もこの場面を逃したら「拉致問題」解決へ向けたの前進はない。

 

 

日朝平壌宣言の調印なしに
日本をこのまま帰国させるわけにはいかない!

 

北朝鮮にとっては、「日朝平壌宣言」の実現は日本がわざわざ北朝鮮へ頭を下げてやってきた事を国民に見せつけることができ、、国交正常化をエサに当面の資金も食料も手に入るという最高の結果をもたらす夢のようなシナリオだったわけで、これを逃せばアメリカの制裁もあり、国内の食糧危機を乗り越える方法をゼロから編み出さなければならなくなる状況でした。

 

 

のちに、この時の会話の盗聴担当をしていた脱北工作員・張哲賢氏はこの安倍晋三官房副長官の芝居の会話によって、日朝首脳会談の「午後の北朝鮮の姿勢」の変更へつながったと証言しています。
午後の会談で、金正日総書記は、自ら日本人拉致が北朝鮮の特殊機関の犯行と認め、謝罪をしてきます。

 

114億ドルが
飛んでいくのを恐れ
金正日総書記もあわてて謝罪。

 

 

北朝鮮金正日氏総書記が拉致を自ら認めたことで、北朝鮮から日本人拉致被害者を日本への帰還させる交渉が一気に前進することになりました。

 

 

拉致被害者安否リストにあった内容は「5人生存・8人死亡」

 

2002年9月17日
「日朝平壌宣言」調印

 

結局のところ、「拉致」という言葉は「日朝平壌宣言」の中には明記していないものの、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案事項」として盛り込まれ、その分案作成段階でも綿密な修正がなされたようです。

 

外務省筋によると、北朝鮮側と水面下で交渉を進めた外務省の田中均アジア大洋州局長が当初示した文案は、4項目目と後文の間に改行がなかったという。これでは、3項目目の拉致問題を意味する「懸案事項」は「協議を行っていく」事項から排除されたように読めてしまう。

「そこで、後文の前に1行空けることで1項目から4項目まで『協議を行っていく』に文意がかかるようにした。(外交文書を作成する)条約局の意地の一発だった」

引用元:IZA

 

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見えないところで日本の国家としての意地を貫いて頑張ってくれた方々もたくさんいたようです。

 

◆2002年10月 北朝鮮・金正日総書記との首脳会談後「日朝平壌宣言」の熱が冷めぬうちに拉致被害者家族担当の内閣官房参与・中山恭子さんが迅速に動く!訪朝時の和茶菓子外交から凄かった! 画像

 

北朝鮮が認め
拉致問題が動き出した!


そうと決まれば、なるべく早く拉致被害者を日本へ帰国させなければ!

 

 

鉄は熱いうちに打て!


中山恭子さんは関係各国に働きかけ、なんと「日朝平壌宣言」から1か月も経たない翌月、10月15日、北朝鮮が生存を示していた5名である曽我ひとみさん、地村保志さん・富貴恵さんご夫妻、蓮池薫さん・祐木子さんご夫妻を日本へ連れて帰ってきます。

 

 

この時も、
ほぼ単身で北朝鮮に乗り込んだ中山恭子さん(笑)!

 

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カッコいい―♡

 

この訪朝に際し、中山恭子さんは日本から重箱に入れたおいしそうな生和菓子を準備してきれいな風呂敷に包み持参されたそうです。それをどこで披露されたかというと、北朝鮮に到着し中山恭子さんが通された特別な部屋のテーブルの上で風呂敷包みを開き、お重のふたを開けられたそうです。

 

 

周りにいたのは
警戒してピリピリした、大勢の武装した守衛たち。

 

その部屋には日本から来た中山恭子さんを最高レベルで警戒し、針一本落ちただけで、銃撃戦がはじまりそうな雰囲気を放つ、武装した守衛たちが中山恭子さんの周りを取り囲んでいたのだそうです。

 

いつかの人質事件の
デジャヴのような光景(笑)

 

gira2
 

人生で二度目なので、中山恭子さんももう怖いものはなかったと思われます(笑)

 

そこで鈴の音のような声と笑顔で和菓子を勧める中山恭子さん。

 

「日本から持参したんですよ。みなさん、どうぞ召し上がって下さい。」

 

このアイデアはもしかするとウズベキスタン大使時代に中山恭子さんが現地の方々から聞いたお話に由来するのかもしれません。一生懸命働く日本人の強制労働者に対し、ウズベキスタンの人々は彼らが空腹なのではないかとパンなどの食料を差し入れしてくれたという話があったのです。

 

そして、数日後に差し入れした同じ場所に日本人の強制労働者が手作りで作ったおもちゃが置いてあったという素敵なお話です。現地では今でも、日本人は恩を必ずできることで律儀に返す人々だと語られているそうです。

 


画像:https://www.sweet-studio.jp/shop2/

 

「おしん」の代わりに今度は和菓子。

 

中山恭子さんがウズベキスタン大使時代に起きたキルギス日本人誘拐事件。その時に、中山恭子さんはイスラム教原理主義ゲリラのヌル司令官に対して解放に向けた交渉に持参したのは日本のドラマ「おしん」のCDだったそうです。

 

 

北朝鮮へ行くときは
和菓子入りお重を持参。

 

お重から何が出てくるかと緊張をしていた守衛たちも、おいしそうな和菓子が出てきたことで目を丸くして驚いていたようです。つい先ほどまでピリピリしていた守衛たちも、日ごろ満足に食事がとれないこともあってか、和菓子を見て顔をほころばせ、次々に手を伸ばしてきたそうです。

 

北朝鮮の守衛陣の心を一瞬に掴み、とろけさせてしまった中山恭子さんの和菓子外交なのでした。そして、幹部ではないけれども政府に近いこうした層に「日本は悪い国ではない」という印象を強烈に植え付けることができただろうという意味で、中山恭子さんの和菓子外交の威力は計り知れない気がします。

 

のちに北朝鮮から脱北した幹部が出てきて、身の危険もある中で北朝鮮についての内部状況を開示してもらえる機会が出てきたことも、こうした陽の目を見ることもない小さな心配りや和菓子外交が効いていた可能性があるなと感じます。

 

 

◆北朝鮮から拉致被害者5名が日本へ一時帰国!中山恭子さんが外務省の田中均アジア大洋州局長を鈴の音のような声で一喝!ぶった斬る!画像

 

前述したように、2002年10月15日、北朝鮮から拉致被害者5名を24年ぶりに日本へ連れ帰ったものの、北朝鮮側の認識も日本の外務省の認識も「一時帰国」というものでした。そして、その滞在期限を1.2週間と定めており、中山恭子さんの後日談では北朝鮮へ帰還させる日程についてのスケジュールもあらかじめ決まっていたという事です。

 

 

1.2週間で拉致被害者は北朝鮮へ帰す。

 

ここで福田官房長官から懇願された中山恭子さんという人選が生きてくることになります。繰り返しになりますが、当初の福田官房長官からの中山恭子さんに対する内閣参謀参与としての依頼目的はこうでした。

 

「ギクシャクしている外務省と拉致被害者家族との中に入って融和を図って欲しい。」

 

拉致被害者の一時帰国にまでつながった「日朝首脳会談」のお膳立てを水面下で綿密に仕上げ実現させたのは確かに外務省田中均アジア大洋州局長でした。けれども前述の通り、外務省はそもそも「拉致問題の解決」など毛頭実現する意欲などなく、「国交正常化」を成立させることを目的としていました。

 

「拉致問題」は
出すつもりもなかったのに出てきてしまった、むしろ邪魔な存在

 

中山恭子さんは内閣参謀参与に就任する以前、ウズベキスタン大使だったわけで外務省の田中均アジア大洋州局長の立場からすると、中山恭子さんというのは直接かかわりがあったかどうかはともかく部下であり、男社会の外務省において、さほど脅威もない女性です。

 

 

また、この外務省の田中均アジア大洋州局長という人はかなり問題のある人物でもあったと言われています。

 

北朝鮮が日朝正常化交渉で失敗したのは、政治家に頼んだからである。日本では官僚が力を持っている。私のような力のある官僚に頼まないと日朝正常化の問題は解決しない。小泉首相も私が動かしている。

引用元:https://dogma.at.webry.info/201306/article_10.html

 

これはのちに北朝鮮側の幹部が明かした田中均アジア大洋州局長の発言の要旨です。

 

「2週間の一時滞在」を
北朝鮮工作員と密約していたのも実はこの人。

 

福田官房長官からすると、そうした難しい相手との立場を誰よりも経験済みで、なおかつ必要とあれば国の為に最善を尽くす意欲のある中山恭子さんであれば、外務省側の立場も想像でき、相互理解が難しい拉致被害者家族との間でうまい采配をしてくれるだろうという、当初はそこまでの期待だったと思われます。

 

ところが拉致被害者の一時帰国を果たした後の中山恭子さんは福田官房長官の期待をはるかに超える結果を残すことになります。

 

 

◆安倍晋三官房副長官・中山恭子さんが田中均氏を一喝「外交官なら外交をしなさい」北朝鮮との密約を壊し、拉致被害者5名の運命を変えた!画像

 

2002年10月に帰国を果たした拉致被害者5名のヒアリングの結果は北朝鮮が提示している「1.2週間の一時帰国」とは裏腹に5名全員「日本に残りたい」という意思でした。

 

 

そこで、安倍晋三官房副長官は北朝鮮との間を取り持つ外務省田中均アジア大洋州局長へ「5人を返さないでほしい」という内容を伝えたそうです。それに対し、外務省田中均アジア大洋州局長の回答はこうでした。

 

私の顔をつぶされては困る。

 

 

「それは困る。わたしと先方との信頼関係はどうなるのか。そもそも、帰すと言う条件で帰国させたのだから、約束は守らなければならない。」

 

「日朝間の信頼関係が崩れてしまう。日朝協議ができなくなる」
「これで(私と)Xとのルートは死にます。5人の子供たちの帰国にも長い時間がかかります」

田中均の態度は強硬で、言葉は脅しに近かった。帰国を果たし、家族と再会した拉致被害者を再び引き離せと言うのである。しかも、そこには自分が今後も日朝交渉をリードしたいという本音が隠れていた。

北朝鮮側は一時帰国扱いで5人を“再拉致”した後、正常化交渉で人質として日本に揺さぶりを掛けてくる。そう見抜いていたのは、官邸内で安倍晋三官房副長官中山参与の2人だけだった。

引用元:https://dogma.at.webry.info/201306/article_10.html

 

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北朝鮮にずっとカツアゲされるところでした。

 

拉致被害者5名からの日本に残りたいという意思確認を終えていた安倍官房副長官もここで改めて外務省田中均アジア大洋州局長へ苦言を呈します。

 

田中さん、5人の帰国はあなたの信頼関係のおかげかもしれない。けれど外務省が、日本に残ることを希望している5人を勝手に連れ出すわけにはいかないでしょう。

引用元:ねずさんのひとりごと

 

国と国の約束は
守らなければならない。

 

頑なにこの理屈をこねて譲らない田中均アジア大洋州局長でしたが、国の為、国民の為というよりは自分が日朝交渉の力を持ち続けるための保身とメンツだけの為でした。拉致被害者を北朝鮮に返すという内容に関しては、福田内閣官房長官も帰国前提という意味で同じ意見だったようです。

 

 

そこで、田中均アジア大洋州局長の物言いに呆れて口火を切ったのがなんと鈴の音のような声の中山恭子さんでした。田中均アジア大洋州局長にとっては自分の部下という二重に格下の足元にも及ばない相手だと考えていたに違いない人です。

 

局長、貴方がやっているのは外交ではありません。北朝鮮へのお願いです。外交官ならお願いをやめて外交をやりなさい。

引用元:ねずさんのひとりごと

 

怒りで顔を真っ赤に染めたといわれる田中局長。

 

さらに、中山恭子さんは理路整然と(おそらく涼しげに)語ります。

 

拉致という犯罪によって奪われ、その犯罪者から被害者を取り返してきたのに、これをまた犯罪者に返すというのは、道理が通らないのではありませんか。

引用元:ねずさんのひとりごと

 

完全に勝負あり。

 

 

怒ろうが怒鳴ろうが机をたたこうが、中山恭子さんという人はそんな男性の威嚇に怯えて怯むような器ではありません。イスラム教原理主義の武装ゲリラの兵士に銃を構えられ囲まれながら、普通に笑顔で話をしに行ける人です。

 

そうして、「日本国家の意思として」拉致被害者を日本に残す、という小泉総理大臣の判断も下されました。

 

 

こうしてみると、あんまり大きな活躍が見えない小泉総理大臣ですが、拉致被害者を日本に戻した総理大臣ということでなぜか名を残しています。

 

 

◆北朝鮮から帰国した拉致被害者5名を日本へ留めるために中山恭子さんと安倍晋三氏が最も大事にした「国家の意思として返さない」という文言 画像

 

帰国した拉致被害者5名が全員、日本に残りたいという意思表示をしたことは確かでしたが、中山恭子さんは「国家の意思として北朝鮮へは返さない」ということに強くこだわりました。

国家同士の約束を守れなくなったことに対する言い訳としては「拉致被害者が日本に残ることを望んだ」とする方が色々な方面からの障害は少なかったと思われますが、そこへこだわったことには訳があったようです。

 

 

本人たちが「帰らない」という意思を表示すると、北朝鮮に残された子供たちに危害が及ぶ可能性があるから「政府が帰さないという大きな前提」が必要だったと言われています。

 

5人が日本に残りたいから政府はしょうがなく残すという方針も出そうになったそうですが、中山恭子さんはそれは決してしてはいけない、日本という国家として国民が被害に遭っている以上、日本政府がなんと言われようと、5人を残すんだ、5人のせいではなく国家の意思として残すんだという方針をしっかり出しましょうと強く述べられたそうです。

 

これは日本国家としての誇りをかけた闘いでもある。

拉致問題を解決しない限り、本当の意味で主権国家とは言えない。
そして、国交正常化の「前に」必ず拉致問題は解決しなければならない。

 

 

◆北朝鮮から帰国した拉致被害者の家族会の蓮池徹氏が安倍晋三氏を批判した件で増本るみ子さん弟・増本照明氏と中山恭子さんが対談 画像

 

拉致被害者家族会の初代事務局長で、帰国した蓮池薫さんの兄である蓮池徹さんが家族会から距離を置いた後、衝撃的なタイトルの著書を出版し、拉致被害者5人を日本に留まらせたのは安倍晋三氏ではないのではないか?という話が話題としてあがります。

 

 

その件で、家族会事務局長を引き継いだ増本るみ子さんの弟の増本照明さんと中山恭子さんが対談をされていました。そこで、中山恭子さんが帰国した拉致被害者5名が日本へ留まることができた理由としてとても素晴らしいことを増本照明さんへ語っていらっしゃいましたので、この記事の最後に残したいと思います。

 

 

帰国した拉致被害者5名が安倍晋三官房副長官中山恭子さんの功績で留まったのではないという蓮池徹さんの考えを申し訳なさそうに増本照明さんは(当時の衝撃的な話題でもあったため)話題に挙げており、それに対して中山恭子さんはそうですか…と幾ばくか残念そうに返事をした後、このように語ったのです。

 

(私は)一旦、日本の土を踏んだ人質の人たちが、もう一回犯人の手に帰るということはあってはならないという考えがありましたから、政府の方針を「帰さない」という事にしましょうとして、安倍内閣官房副長官がその意見を入れて決断してくださったというのが状況です。

でも、帰ってきた5人が日本に留まれたのは、もちろんそれぞれのところでみんなが苦労したと思うのですが、

わたくし自身はあの時、日本の人たちがその5人を温かく迎えてくれた、これがなかったら5人は日本に安心した気持ちで留まれなかっただろうと思っています。

飛行機から羽田でこう降りてくる時に、まず見えたのが日の丸の旗を振って、たくさんの人たちが迎えにきて・・・。多分増本さんもあの時、タラップの下に横断幕を持っていらして・・・。

引用元:youtube

 

5人が日本に留まろうと
決意できたのは、
温かく迎えてくれた日本の人たちのおかげ。

 

 

事実を述べるだけで、いつも全く自分たちの功績など語らない中山恭子さんです。

 

 

北朝鮮では、この5人は日本に戻れば、もうみんな今頃なぜ来たかと、帰れ、帰れと帰れコールが起きるんだというように言われていました。

だから日本の人達がこんなにみんなが心配しているということを知らされていませんでしたから非常に心配して戻ってきました。

ですからみんなが迎えてくれる、あの、(地村)富貴恵さんがタラップ下りる途中で泣き出してしまったというのも、そういう、心配しながら来た、それをみんなが温かく受け入れてくれた。

あの時、わたくしは本当に日本の人々がああいう形で受け入れてくれて、故郷へ帰った時にも心配してみていましたけれども、友達も、先生方も、地域の人も、家族はもちろん、みんながこう迎え入れてくれた、それで、5人は日本に留まろうと思ったでしょうし、それに対して、政府が帰すという方針を貫くということはあってはならない、そういう思いでした。

引用元:youtube

 

中山恭子さんが目指している根本の気持ちは、大使として過ごしたウズベキスタンでの経験がやはり大きいように感じます。ウズベキスタンで強制労働者として働いた日本人の誇りと、それを今も大事に思ってくれているウズベキスタンの人々の気持ちがとても大きかったように思います。国会で中山恭子さんが語っていたことにこんなことがありました。

 

世界中の文化が輝きあふれ
交流を目指す場を目指すこと


日本が文化の底力を再認識し、
国際社会の平和と繁栄に
貢献する国を目指しているということを示していくこと

 

政界を既に引退された中山恭子さんですが、中山恭子さんが残されたお気持ちをこれからもこの国が大事にしていけるといいなと思った今回でした。

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