大槻ケンヂ1000人斬り結婚恋愛が電波混線で苦。菅野美穂以外の元彼女?

今回は「筋肉少女帯」のボーカルとしてモテモテ伝説を誇る大槻ケンヂさんの「1000人斬り」とも言われた女性問題と女性に関する苦手意識について調べてみました。

◆大槻ケンヂが結婚しない理由は極度の精神潔癖症とトラウマ?50代結婚式に期待も?子供はブースカ! 画像

 

大槻ケンヂさんもいよいよ2020年、54歳という年齢を迎えられました。どうやら未だに独身のようです。

 

 

大槻ケンヂさんがモテモテ時代を経験しながらもここまで結婚しなかった理由は何か?と考えると感受性があまりに強く、憑依体質のようなので、自分だけでもいっぱいいっぱいなのに、これ以上の熱量の強い感情が絡まっていくことに対処していくことが困難というイメージなのではないかなと感じました。

 

いくつかの精神に関する病気をされているのもそうした生きている人たちの「気」の混線による影響が大きかったのではないかと感じます。

 

電波系だから
電波が混線するのが苦手。

 

女性に完璧を求めすぎるので長い時間一緒にいるとイライラしてくる。
引用元:https://www.pasonica.com/

 

こんな話もあったので、やはり、怪獣ブースカの人形のような生きていない波動のやらかい癒し系キャラと共に生きるのが安らぎある生活なのかもしれません。大槻ケンヂさんは怪獣ブースカをいつも子供のようにかわいがっています。

 

 

ところが、1点、大槻ケンヂさんには問題が浮上しました。2013年に大槻ケンヂさんは長男である2歳上のお兄さんを亡くしています。お兄さんは48歳だったという事なので、すでにご結婚されていたかもしれませんが、大槻ケンヂさんが頼りにしていた生家の墓守であった兄は居なくなってしまったという事になります。

 

ひょっとすると、これまで兄の存在によって好きなことをできてきた分、結婚などは考えてこなかった大槻ケンヂさんが50代を迎え、結婚式?という事も今後あり得るのかもしれません。

 

50代結婚話題性あり。

 

今回はそんな大槻ケンヂさんの結婚可能性に向け、これまでの女性問題について追っていきます。

 

◆大槻ケンヂの女性「性」との葛藤 ウルトラセブンに刺激を受ける特異体質 画像

 

若年期の大槻ケンヂさんは少年時代からかなり長い間、自分の内側の複雑で暴れまくる「何か」と闘い続けてきたような経緯をたどっています。

 

 

兄弟は男の子の兄だけ、あとは父親と家族に女性はおかんひとり、

そんな大槻ケンヂさんが最初に性に目覚めたのは、幼少時に見た水に濡れてスーツがテカテカになたウルトラセブン、最初に興奮を覚えたのも夕日に照らされる十字架張りされたウルトラセブンという事で。だいぶスタートから重症な印象を覚える内容です。

 

なぜ、セブン。

 

 

その後も大槻ケンヂさんの中学生時代には性に関しては補助媒体のみで過ぎていき、実生活も同級生とオタク活動で終わるという・・・。人生における女性との接触がここまで皆無の大槻ケンヂさんも、人間の神秘とでもいうべきホルモン活動によって徐々に理性では乗り越えられない衝動に駆られることとなります。

 

 

◆インディーズデビュー前の大槻ケンヂは性への目醒めと女性からモテない高校時代の葛藤で性産業への就職を本気で考えていたらしい

 

高校生時代、バンド結成以前までの大槻ケンヂさんはというと、サブカルと言えばまだ花のある言い回しですが、とにかく「アングラ」で色々な意味で非ポップジャンルの「オタク」体質だったことから、女の子との縁もなくもちろんモテなかったようです。

 

 

その奥手っぷりも「かなり重度」だったと思われるエピソードとして、大槻ケンヂさんは高校三年間の間に好きな女の子とたった5分しか話せなかったという、これまた凄まじいヘタレ経歴を持っています。

 

3年間で5分ってw
顔 憶えられてないからw
たぶん。

 

 

女性に対してはそんなにダメなのに、大槻ケンヂさんは中学時代に引き続き雑誌『ビックリハウス』『欽ドン』への投稿は熱心に続けるなど、局地的にかなりアクティブであったりと、内面のエネルギー分配のバラツキ、支離滅裂感が目立つようになります。

 

 

そこからの反動からなのか大槻ケンヂさんは「ポ〇ノ映画」にはまったり、官能的小説にはまったり、実体を伴わない形で安全にその世界へ溺れ、本気で「エ〇産業」への就職を考えていた時期もあったようです。

 

 

◆1985年(年齢19歳)大槻ケンヂはバンドで女の子に大モテ武勇伝を持つほどの状況へ!ファンの女性と初体験 『徹子の部屋』でも 画像

 

ところが、状況が一転する時代を大槻ケンヂさんは迎えることとなります。

 

 

当時の僕は全然モテなくて、女の子にモテたい一心でバンドを始めた。
引用元:ミドルエッジ

 

その目的通りの時代が訪れることになったのです。

 

願えば叶う!?

 

「筋肉少女帯」というビジュアル系の走りのロックバンドはどんどんオタクな客層を集めてゆき、次第に女性客もたくさん集まる大人気バンドへと駆け上がっていきました。中でもバンドの顔であるボーカルを務めていた大槻ケンヂさんは、これまでとは違い一気に超絶モテモテ時代を迎えることになります。

 

 

全盛期到来の兆し。

 

大槻ケンヂさんが19歳の夏には、デビューしてから「筋肉少女帯」の取り巻きはじめた『ナゴムギャル』(ナゴムレコードファンの女の子)と誘われるままに初めての体験をされたそうです。

 

その後、テレビで活躍するようになった時代には、出演したテレビ番組『徹子の部屋』でも、大槻ケンヂさんはこの時代の大モテ武勇伝を公開しています。

 

 

話によると、ツアーなどの際に多数の女性ファンが宿泊先のホテルに押しかけたり、忍びこんだり、ファン同士で喧嘩になるなど騒動が頻発していたようです。

 

その他にも大槻ケンヂさんは自身の性経験を題材にしたエッセイ『愛の履歴書』『バンドマンの恋人になる方法』など自著の中で赤裸々に自身に起こった性的な体験を語っており、言い寄ってきたファンと都度拒まずといった状況だったキモチ悪い日々について語られています。

 

 

そのような話によって、大槻ケンヂさんは1000人斬りなどの思わぬ異名も得ています。さらには関係した女性に対してこのような評論までしています。

 

自分だけは特別でありたいと願う自己顕示欲を満たす代償行為としてのセ〇クスではないか

 

自分がスッキリしたからって何様だよw

と、つい女性としてはツッコみたくなる話ではありますが、当時の大槻ケンヂさんとしてはペーパードライバーを卒業するために、早く周辺の高速の成り立ちを覚えて、首都高を鼻歌を歌いながら楽々潜り抜け、北海道の最北端まで怯むことなく運転できる男になりたかったのだという感想を抱きます。

 

女には分からん悩みだ。

 

 

そんなものにまだ丸腰の女性「お城へ行って王子さまと結婚し、幸せに暮らしましたとさ」的なロマンチックな教育しかされていない日本の若い女性たちが端から端まで今日も利用されているかと思うと個人的には心苦しさしかありません。

 

 

◆1989年(年齢23歳)大槻ケンヂはビデオ『女教師の下着』出演で高校時代の野望と夢が叶う

 

少し話は飛んで、1989年(年齢23歳)の時に大槻ケンヂさんの「エ〇産業」への就職への野望は実は一旦果たされます。

 

 

願えば叶う??w

 

冴島奈緒・結城ゆかり共演のアダ〇トビデオ「女教師の下着」(1989年4月24日、マドンナメイト)に生徒役で出演したことがある。絡みシーンはない。
引用元:Wikipedia

 

アダ〇トビデオ出演したことは雑誌『宝島』にも当時掲載されたようで、大槻ケンヂさん自身も同年にゲスト出演したラジオ番組『伊集院光のオールナイトニッポン』でしゃべっていたそうなので、不謹慎な気持ちで出演されたわけではなさそうです。

 

 

◆大槻ケンヂを美女関係のイタズラでそそのかした水道橋博士!紹介した元彼女の女性?有名人芸能人がすごかった 画像

 

どうやら、大槻ケンヂさんの性の教習所の先生は水道橋博士だったようです。一方で水道橋博士にとって大槻ケンヂさんは正真正銘の「精神的ストリッパー」と言い切り、求められるものがあれば相手を喜ばせたいという気持ちからどこまでも赤裸々な過剰サービスをしてくれる尊敬すべき人材だったようです。

 

 

色々な美女を「精神的ストリッパー」大槻ケンヂへ投入。

 

 

◆1990年代前半:ブレイク前のタレント【加藤紀子】(桜っ子クラブ時代?)をオーケンへ紹介。元彼女可能性低 画像

 

まだ大ブレイクする前の加藤紀子さんという事なので、1990年代前半、まだ「桜っ子クラブ」時代だと思われる時期に、水道橋博士大槻ケンヂさんと加藤紀子さんとの高円寺デートをセッティングしたようです。

 

 

かわいい!

 

オーケンが高円寺でデート?らしきものをしたのだが、超常現象とUFOの話しかできず、気味悪られ、奴が悔し泣きしていた話をオレのラジオで喋ってやった。
引用元:asakusakid.com

 

UFOの話ww

 

永遠と超常現象を語る大槻ケンヂさんの眼差しが目に浮かぶほどのリアル感です。この時は水道橋博士は特にビックリでもなく、本当に善意で大槻ケンヂさんに紹介したっぽいですね。

大槻ケンヂさんと加藤紀子さんが交際していた可能性は低そうです。

 

 

◆時期不明:グラビアモデル【細川ふみえ(フーミン)】をオーケンへ紹介元彼女可能性高 画像

 

もうお一人、その昔、大槻ケンヂさんが「好きだ!」と公言していた細川ふみえさんがいます。1993年アルバム『UFOと恋人』が発売された頃、お二人は対談をされています。

 

 

水道橋博士はメロメロになった大槻ケンヂさんをみて、細川ふみえさんに依頼して、大槻ケンヂさんの自宅に電話をかけさせさせたことがあるようです。

 

 

フーミンを使って、オオツキ宅にイタズラ電話をかけ、しばし、奴に見果てぬ夢とやらを見させてやった。
引用元:asakusakid.com

 

参考情報として、大槻ケンヂさんは1994年と1996年の2回、2曲の楽曲提供を細川ふみえさんにしています。ですから、この前後の時期ではないかと思われます。

 

 

●1994年『ポチに八つ当り』
●1996年に『おねむ派宣言ZZZ…』

 

当時のインタビューを見ると、恋愛感情以前にだいぶ自身の中に混乱を迎えている時期であることが分かります。

 

 

大槻ケンヂさんが2度に渡って細川ふみえさんへ楽曲提供をしている経緯からいって、それなりにいい親交関係になったのではないかと思われます。細川ふみえさんと大槻ケンヂさんの元彼女だった可能性は結構高いのではないかと思いました。

 

 

◆時期不明【馴染みの凄腕SM嬢女性】をオーケンへ紹介

 

また別の時期には水道橋博士馴染みのSM嬢大槻ケンヂさんに斡旋し、プレイの全貌独特の性癖について『水道橋博士の異常な愛情』という自著の中で赤裸々に発表を行ったようです。

 

なんと。

 


画像:Amazon

 

この辺りの体験をもって、前述のコレが浮き出てきたのかもしれません。

 

自分だけは特別でありたいと願う自己顕示欲を満たす代償行為としてのセ〇クスではないか

 

この時期の大槻ケンヂさんとしては欲しいのは愛とか情感と言った自身をじわじわと侵食してくるような脅威のあるものではなくて、器械体操のような体操運動がしたいだけなのに!というイメージだったのかなと感じます。

 

◆1994年:~バラエティ番組『ポイズンガルズ』でデビュー間もない10代の菅野美穂と共演!熱愛交際へ?元彼女だったの?画像

 

もう一人、大槻ケンヂさんとの関係で、とても話題となった大女優さんが一人います。それが驚きのこの方、菅野美穂さんでした。菅野美穂さんと大槻ケンヂさんは1994年-1995年の5か月間『ポイズンガルズ』で共演を果たしています。

 

 

大槻ケンヂ28歳。

 

菅野美穂さんは当時女優デビューして1年程で、まだ17、18歳という若さであり、共演で交際に至ったと言われています。ちなみに菅野美穂さんも『桜っ子クラブ』出身。

 

また、菅野美穂さんがとても若い時代であったため、大槻ケンヂさんが初めての男」と言われているというお話がありました。(若いというだけであれだけ可愛い女性ですからそこはどうかな?という印象です)

 

 

さらに調べていくと、この頃にはビジュアル系のロックバンド活動を経て「モテ男子」に大変貌を遂げていた大槻ケンヂさんの武勇伝「1000人斬り時代」に突入していたと思われます。そして、あまりにも不特定多数の女性との交際があった事で精神脆弱となる交際は避け、「彼女」という定義のくくりのものをあまりつくらなかったようです。

 

混線するからね。

 

 

そう考えていくと、交際していたとは言われているものの、見るからに「メンヘラ度」の高そうだった若き日の菅野美穂さんなどを面倒な「彼女」というくくりにしていたかどうか?というところも微妙である気がしてきます。

しかしもしかすると元彼女という話もありえるのかもしれません。

 

 

◆大槻ケンヂは交際中の彼女に浮気がバレたことがあるらしいという逸話

 

それでも数人は大槻ケンヂさんもきちんと女性と「彼女」として交際をしていた時期があったようで、その交際期間中に別の女性との浮気がバレた際、交際していた彼女に自宅のベランダから、

 

「大槻ケンヂが浮気してまーす!」

 

 

と絶叫されるという経験もしています。このセリフを菅野美穂さんで想像すると、とってもしっくりくるのは私だけでしょうか(笑)

 

 

◆その他 大槻ケンヂのファンとの女性関係1000人斬り時代の逸話は実際は300人? 画像

 

大槻ケンヂさんは後にテレビ出演をされた際に、「1000人斬り」についての数字を下方修正しています。あまりのその時代のモテっぷりをシャレで話していたところ、このような大げさな言われ方になってしまったけれど、当時のバンドブームのモテ方から言えば「通常クラス」であり、もっと数は少なかったようです。

 

 

「1000人も斬ってない、300人くらいに訂正しておいて」と発言した。

 

300人もどうかと思うけどw

 

確かにこの頃のとくにビジュアル系ロックバンドのモテ方は凄まじかったようです。吉川ひなのさんがIZAMさんと結婚したのも、この時期でした。

 

 

なぜ??と全国民が揺れた事案でした。

 

 

◆大槻ケンヂの宿泊ホテルの部屋に女性ファンが並んでいたという逸話

 

ネットの掲示板を見てみると、大槻ケンヂさんの話題についてこんなものがありました。宿泊先のホテルに女性ファンが並び、3人まで相手にしていた??都市伝説のような話です。

 

 

それ以上だと
翌日ライブに支障。

 

ちなみにこの時代に代弁者と言われたのが

 

●みうらじゅん
●伊集院光
●大槻ケンヂ

 

のお三方だったそうです。どれもちょっとキツイ(笑)

 

 

実際の所は噂でしかない為、調べた限りではこの件に関するこれ以上の裏付け情報はありませんでしたが、ぽっと出の噂にしては内容があまりにも具体的なので、どこかのタイミングで大槻ケンヂさんが話された可能性もあるのかもしれません。

 

 

◆大槻ケンヂの自宅の部屋に女性ファンが忍び込んでいたという逸話

 

もう一つ、女性ファンが大槻ケンヂさんの部屋に忍び込んでいた話、というのがとてもホラーのようなユニークな話として語られているようです。

 

 

ファンが部屋に忍びこんだときの話が好き。
酔って鍵かけずにそのまま寝て起きたら
顔の横に髪の長い女が立っていて、
恐いながらも「君…何してるの?」と訊ねたら
「美容師をしてます」そうじゃねえだろっていう。

 

やっぱり、類は友を呼ぶと言いましょうか、ファンのセンスも飛びぬけているようです。

 

ここまでの一連の話を見ていくと、私が大好きな映画のひとつでもあるキャメロン・クロウ監督の映画『あの頃ペニーレインと(Almost Famous)』を彷彿とさせる何かがあります。

 

この中でもロックバンドを熱狂的に追いかける「グルーピー」と呼ばれる女性たちと、その中で「私はグルーピーじゃない」と頑なにその言葉を拒絶し、突出して跡を残す女性が出てきます。

 

 

そして、大人になっていく途中で、本人は大人になったつもりでいて純粋なまま、純粋なだけにボロボロになっていくという姿がそこにはあります。

若い時代にしかできない闘いの尊さと儚さのようなものがそこにはあり、そうしたバカバカしくも一生懸命というだけの記憶は、大人になってもずっと宝物のように残るかけがえのない失った時間の形跡でもあります。

 

ケイト・ハドソンの黄金期!

 

◆大槻ケンヂ著書『のほほん雑記帳』初めての女性、最初の彼女との話に水道橋博士が涙ぐむ 今も電波で? 画像

 

ここまで、いかにビジュアル系ロック歌手の女性関係が混線しているかをとうとうと綴ってしまいましたけれども(そうしたエピソードしか出てこないのですから致し方ありませんw)

大槻ケンヂさんにも、やっぱりきゅんとするお話がひとつありました。

 

 

大槻ケンヂさんは1992年の著書『のほほん雑記帳』の中で、初めての彼女で初めての相手だった10代の女の子の事を書いています。この女の子はきっと大槻ケンヂさんにとっては、『あの頃ペニーレインと』の中に登場するケイト・ハドソンのような女の子だったに違いないと感じるエピソードです。

このくだりで、珍しくあの水道橋博士が読むと涙ぐむというくだりでもあります。

 

手首に白い包帯を巻いた彼女と天気の良い日に公園で会った。
「この間、サザエさんを見たのね」と彼女は語りだした。
「カツオが言うのよ、
『父さん、たまには母さんを連れて梅でも見に行けよ』
って、ナミヘイとフネは『それもいいな』とか言って
二人で水戸に梅を見に行くの」

彼女は決心したようにボクの目を正面から見つめ。
「私達もああなれたらいいね」と小さく言った。

(中略)

今ボクのやっていることの何分の一かは、
彼女と出会っていなければなかっただろう。
いろいろなことを彼女との日々の中から学習したのだ。

引用元:『のぼぼん雑記帳』

 

この子との最初の恋愛が、当時ペーパードライバーに近い大槻ケンヂさんにとっては長い間とても大きな意味を持ちつづけてきたのかなと感じさせる話です。

 

 

1992年発売のアルバム『エリーゼのために』の中にある「生きてあげようかな」の歌詞がきっかけで出来たというこのアルバムですが、タイトルにある「エリーゼ」とは、大槻ケンヂさんが付き合っていた自傷行為癖と願望のある女性の事だそうです。

 

しかし彼女のリストカットは止まらず、自身の無力さを痛感したと大槻は語っている。
引用元:エリーゼのために

 

のちの「1000人斬り時代」も、幸せな老後を一緒に迎えることなど到底できなかった幼過ぎる二人の悲恋を引きづったものだったのかもしれません。

 

 

そしてはっとするのは、もしかすると大槻ケンヂさんはこの電波系女子と今でも実は電波上繋がっていると信じていて、10代の時に彼女が抱いた妄想のような夢を叶える態勢をとっているのかもしれません。

 

それとも、肉体は傍になくても、
もう一緒に梅を見に行っているのかな。

 

願えば叶う?

 

では。

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