樹木希林の名言「いいも悪いも、出会うものは全て必然」ということば

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今回は、女優の樹木希林さんの「結婚相手」「家族」に関する言葉です。

◆樹木希林さんの結婚・家族に対する言葉

 

樹木希林(きき きりん)
1943-2018年 (享年75歳)

 


画像:『産経新聞』2018年9月16日

 

どれだけ人間が生まれて、合わない環境であっても、そこで出会うものがすべて必然なんだと思って、受け取り方を変えていく。

そうすると成熟していくような気がするのよね。それで死に向かっていくのだろうと思う。でも人間ってだらしないから、あんまりいい奥さん、あんまりいい旦那さん、いい子供で楽だと、成熟する暇がないっていうか

―樹木希林

 

樹木希林さんは自分の目の前に現れたもの、出会ったもの全てに対して「必然である」というフィルターを常に自分の目に入れていくことを語っています。

 

また、全ては「成熟」を獲得して死へ向かうという目的のために、必ずしも「理想的で最良のカタチ」では現れないのだという事も言葉にしていました。

 

 

◆樹木希林さんの言葉「必然」「成熟」と私の人生の接点について

 

樹木希林さんのこの言葉は、私の結婚離婚、その他社会における人生の困難で感じてきた実感「そのもの」という言葉でした。

 

 

たくさんの樹木希林さんの名言の中でも、特にこの言葉に「ご縁」を感じた理由は、私の元夫の口癖が「必要・必然・ベスト」という言葉で、私はその言葉がとても気に入ったことで、相性がいいとはとても思えなかった彼と結婚することになったからです。

 

 

そして、「大抵の場合、結婚相手とは、人生で最も相性が悪い相手がなるもの」なんていう言葉もあるほど、絵に描いたように元夫は私にとって「人生で最も合わない人」でした。結婚生活はとても困難の連続で、疲弊する毎日でした。最後には命を脅かすほどの日々が訪れました。そして私たちは離婚をします。

 

 

その後、子供を引き取った私は、シングルマザーとして子供の人生を守るために必死で再就職をしますが、今度は幼い子供を連れての再就職、経済的自立に打ちのめされます。

 

 

給料が支払われなかったり、とても継続していける労働内容では無かったり、深夜まで残業することが避けられない会社だったり、今度こそと思えば、とても子供の未来を支えていけないような薄給だったり、最後は高圧的な上司から嫉妬を買って3年間ずっとパワハラを受ける状態であったり・・・と5社を転々とし、この時も命をすり減らして働いてきました。

 

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しかしその時に、私たち母子の生活を支えてくれたのは、他でもない元夫からの「養育費」でした。憎しみあい、ののしり合い、離婚時には我が子に対しても「1円も払う気はない」と怒鳴り散らしていた元夫が、

 

 

調停で決まった金額を、その後も毎月必ず娘のために振り込んできてくれました。社会問題にもなっていますが、離婚した男性の殆どは「養育費」の支払いからは逃げます。そんな中で、私の元夫は支払い続ける事を人生で選択していたのでした。

 

 

私たちは元夫の根底にあった芯の部分の感性によって、困難な時間をここまで乗り越えることが出来ました。それは「愛情」とかそんな表面的な言葉ではとても表現できないような情念であり、精神的な葛藤を超えたところにある崇高なものだと今、感じます。

 

 

結婚時代、とても受け入れられない目に見える、耳に聞こえる辛辣でとげとげしいものを受け取って、私は元夫のフォルムをそういうものだと思って離婚しました。

 

 

けれども、今は、目に見えるものと「ほんとう」は違うということを元夫を通して感じ、無責任でその場限り頬を染めさせるような「甘い言葉」を囁き合うのが愛ではなくて、「愛する」ということがどんなに過酷で、自分の心の弱さに打ち勝つ強い者にしか全うできない事なのかを知った気がしています。

 

 

◆人は「成熟」を目的に死へ向かっている。その目的を考えればすべての物事は感謝すべき必然の存在であり、崇高な存在から施されたものである

 

そして、人間は「成熟」を目的に死へ向かっているという樹木希林さんの概念はスピリチュアル的には「アセンション」に近い概念だと思うのですが、真の純粋性や誠実さ、幸福的視野をたくさん獲得して「成熟」し、自分の心の中に居る崇高な存在の前に立つときに恥ずかしくないように、それに向かって生きて行く、

 

 

全てはそのための材料でしかないという事なのかもしれないという気持ちを持ちました。そういう意味ではあくまでも最後に残るのは、肉体を手放した後の「現世を生きた自分という魂」と、それにいつも寄り添い誰よりも自分の魂の生き方を見てきた「心の中に居る崇高な存在」であり、

 

 

現世で自分自身が出会った全ての人々、特に自分の感情を揺さぶって、都度自分に感情的葛藤を抱かせることで「成熟」への架け橋となってくれた人物というのは、当時は憎たらしい悪役として存在していたとしても、結局のところ「成熟」へ向かって魂を動かすという目的に向かって道連れになってくれた別の魂であり、

 

そこには感謝しかないだろう、という事なのかもしれません。

 

 

また、私自身にも言える事ですが、大前提として「神さまは自分が幸福になるようにすべての事象を与え続けている」というような感性があるからこそ、こうした考えになるのかなとも思いました。私は特定の宗教を入信しているわけではありませんが、自分の心の中の崇高な存在とは別の「神さま」的存在を感じています。

 

 

信じる信じないという所の話ではなくて、そうした存在を感じて生きていくことは、どうでもよい雑音が打ち消されていき、人はより良く生きやすくなるのではないかと私は思います。

 

 

それが、樹木希林さんの言葉の中にもある「~必然なんだと思って、受け取り方を変えていく。」というフィルターであり、

「神さまの存在やご意向が、いつも自分の成熟の為に施されているということを信じる」

いう事に近いニュアンスではないかと思いました。

 

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