風間杜夫の昔若い時~今現在の年齢別役者経歴と妻子供・口髭ほくろ画像

今回は2020年NHK朝ドラ『エール』に出演中のベテラン俳優・風間杜夫さんの若い時代からの役者経歴や歴代出演作品、奥様とのご結婚、お子さんについての情報に加え、風間杜夫さんが役者として生きていく中で大切にされてきたものが何だったのかということについて追ってみました。

  1. ◆2020年(年齢71歳)今現在 俳優風間杜夫は最新NHK朝ドラ『エール』で口ひげの存在感が話題!2014年 朝の連続テレビ小説『マッサン』以来!歴代出演作は?画像
  2. ◆1949年誕生!俳優・風間杜夫の昔若い頃からの基本プロフィールまとめ 本名、出身地、身長体重、父親・母親・兄弟 家族は?画像
  3. ◆1957年(年齢8歳)風間杜夫は昔若い時から児童劇団『東童』に入団!本名で子役デビューていた!学歴と出身校はどこ?小学校・中学校・高校・大学は?今現在は幼稚園の孫 画像
  4. ◆1972年(年齢23歳)芸名「風間杜夫」で昔、日活ロマンポルノ銀幕デビュー!同時期の若い頃に結婚相手となる嫁に出会う!?糟糠の妻と話題!ホクロも除去手術せず進化 画像
  5. ◆1977年(年齢28歳)風間杜夫の役者人生の転機!劇団「つかこうへい事務所」演出の舞台作品『戦争で死ねなかったお父さんのために』初出演 以後、主要キャストに
  6. ◆1982年(年齢33歳)俳優・風間杜夫の名前を轟かせた若い頃の2作品!映画『蒲田行進曲』はアカデミー賞総なめ!17億円以上の興行収入になった松坂慶子の相手役とドラマ『スチュワーデス物語』女優・堀ちえみとの熱演 画像
  7. ◆1997年(年齢48歳)俳優・風間杜夫は舞台をきっかけに立川文志の落語会に出演!幼少期に祖父「落語全集」小噺録音遊びが影響? 画像
  8. ◆俳優・風間杜夫はテレビドラマ・映画・舞台役者として還暦を超えた今現在も進化を続けて活躍中!2018年(年齢69歳)『セールスマンの死』では女優・片平なぎさと再演も!画像

◆2020年(年齢71歳)今現在 俳優風間杜夫は最新NHK朝ドラ『エール』で口ひげの存在感が話題!2014年 朝の連続テレビ小説『マッサン』以来!歴代出演作は?画像

 

2020年朝ドラ『エール』に出演中の風間杜夫さんは1949年4月生まれで、2020年には71歳となる団塊世代を代表する大俳優さんです。

 

 

メロドラマに出ていた
風間杜夫が71歳という事に衝撃!

 

役どころは銀行経営をする大実業家・権藤茂兵衛で、窪田正孝さん演じる主人公・裕一の母親(菊池桃子 演)の兄です。

 

 

さすがの貫禄!
夏目漱石かと思ったわ(笑)

 

風間杜夫さんは特定の強烈な「色」がついた俳優さんではないので、どんな役でも求められた役どころを完璧に演じる俳優さんとしてとても重宝されているようです。

 

 

ちなみにNHK朝ドラ『マッサン』出演時(↑)にも
口ひげ姿(笑)!

 

NHK朝ドラ出演は2014年の『マッサン』以来、6年ぶりではありますが、そこまでに出演した朝ドラは以下。

 

●1976年(年齢27歳)
『雲のじゅうたん』

●1978年(年齢29歳)
『おていちゃん』

●1997年(年齢48歳)
『甘辛しゃん』

●2010年(年齢61歳)
『ゲゲゲの女房』

●2015年(年齢66歳)
『マッサン』

●2020年(年齢71歳)
『エール』

 

なんと44年前から
朝ドラ出演!

(茂兵衛)息子が2人だ。
どちらがを養子に出せ。

 

熟年男性代表・風間杜夫さんのセクシーな口髭にしびれる女性が多数出現中!今回の出演も、前回出演の朝ドラ『マッサン』での口髭アンコールの声が強かったからかもしれません。

 

 

今回も
「口髭ロス」が
大量発生するに違いない重大事案!

 

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ちなみに私も口髭スキですw

 

 

◆1949年誕生!俳優・風間杜夫の昔若い頃からの基本プロフィールまとめ 本名、出身地、身長体重、父親・母親・兄弟 家族は?画像

 

風間杜夫さんは1949年生まれで、東京都世田谷区三軒茶屋がご出身です。上にお姉さんが一人いるようで、お父さんはとてもコワイ存在だったようです。その影響もあってか?風間杜夫さんの幼少期はとても内気でおとなしい性格だったというお話です。

 

 

そのおとなしい性格を気にした風間杜夫さんの母親が、児童劇団への入団を勧めたことが役者業スタートのきっかけとなりました。

 

●名前:風間杜夫(かざまもりお)
本名:住田知仁(すみたともひと)
●生年月日:1949年4月26日
●星座:おうし座
出身地:東京都世田谷区三軒茶屋
身長:171㎝
体重:66㎏
●血液型:O型

 

風間杜夫さんの身長は171㎝という事ですが、この時代の栄養状況を考えると、本来はもっと高身長になっていたのではないか?と考えられます。

 

 

◆俳優・風間杜夫の父親は若い頃映画会社「新東宝」の営業マンで幼少期はザ・昭和の雷親父だった 画像

 

風間杜夫さんの父親は映画会社「新東宝」の会社員で営業担当でした。その影響もあってか、風間杜夫さんの幼少期にはよく子供たちを大衆演劇に連れて行ってくれたそうです。

 

 

しかし、昭和のいわゆる「雷親父」といった印象の父親は、食事の作法や礼儀に厳しく、怒る時にはリアル「ちゃぶ台返し」を自宅でやって激怒をしていたそうです。

 

 

今の時代に こんなことをしたら、間違いなくDVオヤジだと家族から見放されてしまうでしょうが、戦後の「父親」の力はとても大きなものでした。

 

私の父親もちょうど風間杜夫さんと同じ、団塊世代ゾーンの生まれですが、やはり父の父親(私の祖父)は大変厳しく、帰宅時間まで家族全員で夕飯を待ち、子供たちは正座をして並んでその日の行動の報告(特に使ったお金の報告)をしていたそうです。

 

 

『巨人の星』のおとっつあんも
毎回、エンディングで息子を殴り飛ばしていましたが…

 

私の父も、無駄遣いをした日は、父親(祖父)から即座に平手打ちをされて、吹っ飛ばされていたそうです。まさに雷親父(笑)。

 

 

もはや日本では死語になってしまった

「地震・雷・火事・親父」

 

でもあります。そんな最強のお父さんは晩年に脳梗塞を患い、約10年間も寝たきり状態になってしまったようです。その間、風間杜夫さんのお嫁さんが病院へ通って介護されていたそうです。

 

 

◆俳優・風間杜夫の母親は賄い付きの下宿屋と雀荘を経営!若い時からの息子の趣味にも影響? THEわれめDEポン画像

 

風間杜夫さんの母親も昭和の肝っ玉母ちゃんだったことが伺われるエピソードを持っています。前述の風間杜夫さんの父親が定年退職後、母親は自宅を改造して賄い付きの下宿屋や、雀荘を開き、自ら経営されていました。

 

 

風間杜夫と言えば麻雀。
「THE
われめDEポン」の常連。

 

 

また、母親は息子である風間杜夫さんの演技をいつも褒めてくれる存在で、風間杜夫さんが若い頃から仕送りしていた金銭を全て貯金して取っておいていてくれたという母心が詰まったエピソードがありました。

 

そんな愛情をたくさん注いでくれた母親も、83歳ですでに他界されているそうです。

 

◆1957年(年齢8歳)風間杜夫は昔若い時から児童劇団『東童』に入団!本名で子役デビューていた!学歴と出身校はどこ?小学校・中学校・高校・大学は?今現在は幼稚園の孫 画像

 

2017年のお話になりますが、風間杜夫さんは現在息子さんの一家と同居しており、幼稚園に通う2人の孫と1歳の孫との触れ合いが近年の活力源となっているようです。

 

 

去年あたりから「じじ、本を読んで」と言われて、読むんですが話を聞いてない。僕の顔ばかり見てて、そのうち「ばば、読んで」と。要するに僕のは芝居になりすぎてるから、気に入らないんです(笑)。
引用元:演劇人の活力源

 

大俳優・風間杜夫の
読み聞かせが気に入らない孫たち(笑)

 

そんな、俳優としての新しい課題にこの年齢になっても直面している風間杜夫さんでしたが(笑)、調べてみると、風間杜夫さんの若い時からの俳優としての経歴も大変長いものとなってることが分かりました。

 

 

◆1956年(年齢7歳)世田谷区立旭小学校時代に東映児童演技研修所の一期生として子役デビュー!少年雑誌『冒険王』表紙を飾る

 

風間杜夫さんは1957年、なんと8歳という若い時から児童劇団『東童』に入団し、1958年(年齢9歳)には東映児童演技研修所の一期生として子役デビューを果たしています。前述のように、風間杜夫さんの内気な性格の克服のために母親が勧めたのが東映演技研究所児童部への入団でした。

 

 

少年雑誌『冒険王』の表紙を飾る風間杜夫さんは、今のお顔立ちにも続く面影を残しています。そして、その後、多数の映画作品にも出演していくことになります。


『月光仮面』

 

『月光仮面』に出演!


『月光仮面』

 


画像:twitter

 

●1959年 映画『江戸の悪太郎』
●1959年 映画『月光仮面シリーズ』
●1960年 映画『危うし!快傑黒頭巾』
●1961年 映画『はだかっ子』

 

 

子役時代の風間杜夫さんは、本名の「住田知仁」名義で出演されていたようです。『月光仮面』というと、昭和の子供たちが夢中になったテレビだったという事なので、風間杜夫さんも学校で大人気だったのかもしれません。

 

少年時代の風間杜夫さんは、当時人気の漫画雑誌『冒険王』の表紙モデルも3年間務めました。

 

 

◆1962年(年齢13歳)私立玉川学園中等部~1965年(16歳)内部進学で玉川学園高等学校へ。趣味の麻雀を覚える

 

私立受験で玉川学園中等部、内部進学で玉川学園高等学校へ進学した風間杜夫さんはお坊ちゃま育ちの生徒ばかりの環境に馴染めず、一時失語症に近い状況にまで追い込まれる学生時代だったようです。

 

 

けれども、13歳で児童劇団も退団していますが、その後も演劇は続けていたそうです。児童劇団を辞めるきっかけとなったのは、現場の先輩から「本気で役者を目指すなら子役をやめなさい」とアドバイスされたことがきっかけだったそうです。

 

役者になりたい
という気持ちは
ずっと続いていった。

 

●1962年 映画『飛ばせ特急便 深夜の脱獄者』
●1962年 映画『南太平洋波高し』
●1962年 映画『ちいさこべ』
●1964年 映画『路傍の石』

 

また、風間杜夫さんが高校時代に知り合った友人がフリー雀荘での強者であり、その影響で趣味の麻雀を覚え、後に『THEわれめDEポン』8回も優勝する(うち5回連勝)という快挙に繋がっています。

 

 

麻雀とは不思議な縁があって
何故かそばについてくるもの

 

 

6時間生放送の「THEわれめDEポン」は
視聴者側も意外とゆるいガッツのいる番組(笑)

 

誰も起きてない
早朝に迎える地味で深い感動(笑)

 

 

2007年には「東京六大学麻雀リーグ」において、風間杜夫さんは母校・早稲田大学チームの監督を務めています。

 

 

◆1969年(年齢20歳)「自由舞台」に憧れ、一浪して早稲田大学第二文学部演劇専攻入学したが安保闘争勃発~中退

 

風間杜夫さんはそのまま附属の玉川大学に通うこともデキましたが、演劇に憧れ、1年浪人して早稲田大学第二文学部という夜間の大学へ進学し、演劇を専攻していました。早稲田大学の「自由舞台」に入りたいというのも志望動機だったそうです。

 

 

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稲垣ゴローさんみたいですw

 

しかし
時代は「日米安保闘争」

 

早稲田大学「自由舞台」「芝居をやる時代ではなく街頭に出て声を上げよう!」という雰囲気となり、芝居どころではなくなってしまったそうです。

 

 

1971年に風間杜夫さんは22歳で劇団「表現劇場」を結成しています。その劇団には斉木しげるさん、きたろうさん、大竹まことさんという今では大御所の面々が所属していました。

 

のちの
「シティボーイズ」お三方。

 

◆1971年(22歳)大竹まこと・斉木しげる・きたろう(シティボーイズ)で劇団「表現劇場」結成!貧しい同居生活や「仮面ライダーV3」アルバイトで全国を回る生活も現在では落語のネタに

 

学生でお金もなかった当時、風間杜夫さんは、劇団の集会場として祐天寺に8畳のアパートを借り、1年半の間、大竹まことさんと斉木しげるさんと男三人で暮らしていたこともあったそうです。

 

 

8畳アパートには
濃すぎる3人の男(笑)

 

 

誰か1人くると
4人になるので徹夜麻雀に(笑)

 

そして、同居生活だけではなく、風間杜夫さん他メンバーは一緒に『仮面ライダーV3』のアルバイトで全国を回るなど、貧しいながらも青春を謳歌していたようです。

 

 

共に特撮テレビドラマ『仮面ライダーV3』のアトラクションショーで日本全国を回る(その壇上で風間はV3のスーツアクター、斉木はボス役、きたろうは怪人役、大竹は影の声を担当したほか、ショーの終了後に風間は1千人規模のサイン会もこなしていた)
引用元:Wikipedia

 

風間杜夫さんは主役なので、ほかのメンバーと違い、1000人以上のサインもこなしていたのに、ギャラは均等に配分されていたそうです。

 

 

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福山雅治さんバリですw

 

大竹は着ぐるみが大嫌いで、しかも彼は要領がいいから、マイクを使って会場の子どもたちに「今日はお前たちの中の一人をさらっていくから覚悟しろ!ヒッヒッヒ」などと言って脅かすという、一番楽な仕事をやっていた。
引用元:早稲田ウィークリー

 

仮面ライダーだけでなく、それぞれがそれぞれ様々なアルバイトで暮らす日々。皆で銀座のラーメン屋の出前のアルバイトをしていたこともあったようです。

 

実に楽しそう(笑)

 


早稲田ウィークリー

 

現在では、風間杜夫さんはこうした若い時代の青春真っ盛りなエピソードを落語出演の際の演目の導入部分としてよく使っているそうです。

 

愛しき青春時代。

 


早稲田ウィークリー

 

とても濃い面々が若い頃に『仮面ライダーV3』に大集結していたというのがとても不思議に感じますが、どんなに今大御所の役者さんであっても、こうした愛しき青春時代はやっぱりあるのだなあとじんわりするお話です。

 

◆1972年(年齢23歳)芸名「風間杜夫」で昔、日活ロマンポルノ銀幕デビュー!同時期の若い頃に結婚相手となる嫁に出会う!?糟糠の妻と話題!ホクロも除去手術せず進化 画像

 

風間杜夫さんは1972年に日活ロマンポルノで銀幕デビューを果たしています。なかなかパワフルな演技である為、画像を載せたいところですが、ちょっと現代の感性では画像がファール気味なので、同じ時代の若い頃の爽やかな画像を載せておきます。

 

 

風間杜夫さんのラブシーンのお話として、あえぎ声のアフレコをするのに、息を吐き過ぎて酸欠になりそうになった事があった、というものがあります(笑)。

 

あえぎ声時代からは
「風間杜夫」芸名を採用。

 

 

コンセプト不明の
迷走時代も経験。

 

それでも昭和の日本では確実に「爽やかハンサム枠俳優」枠だったと思われます。また、のちの伝説のメロドラマ「スチュワーデス物語」の熱くメロリンな演技はこの迷走下積み時代に培われたものかもしれません。

 

 

◆1974年(24歳)テレビドラマ初出演『勝海舟』初レギュラー『娘たちの四季』で活躍の若い頃に結婚相手となる嫁に出会う!馴れ初めに口髭センパイ・大竹まことの存在

 

1974年には風間杜夫さんはテレビドラマ初出演となる『勝海舟』に出演されています。徐々に役者としても幅を広げていっている時代の風間杜夫さんでしたが、まだまだ無名の若手役者。けれども、この時代にとても大きな出会いがありました。

 

 

大竹まことが縁で
生涯の伴侶に出会う。

 

その女性は大竹まことさんと同じ喫茶店でアルバイトをしていた女性で、当時短大生だったそうです。大竹まことさんはこの喫茶店でコックとして働いていた為、お金のない仲間たちは喫茶店に遊びに行って、よくタダメシを食べさせてもらったというエピソードがありました。

 

 

大竹まことさんは
口髭族の先輩(笑)

 

ですから、紹介というより大竹まことさんの店へタダメシをたかりに行った際に出会った美女だったのかもしれません。

 

タダメシのつもりが
嫁を見つける奇跡!

 

 

人生どこでどうなるか
分からないものです(笑)

 

1975年の時に風間杜夫さんとその女性はめでたく結婚されています。

 

ところが、全く稼ぎの足らない状況だった為か、風間杜夫さんの奥さんは静岡での仕事を結婚後も続けており、結婚から半年後迄の時期は東京と静岡間での「遠距離恋愛」をしていたようです。

 

通い婚。

 

 

その頃の風間杜夫さんの奥様は、静岡で「ケースワーカー」のお仕事もされていたようです。(ケースワーカーとは、身体上や精神上の理由等により、日常生活を送ることが困難な地域住民の「相談援助業務」に就くお仕事だそうです。)

 

暫くして、東京の建築会社へ転職し、結婚してからも風間杜夫さんが役者として売れない時代には奥さんの稼ぎで食べさせてもらっていたそうです。

 

正に絵に描いたような
「糟糠の妻」

 

 

◆1978年(年齢29歳)頃に俳優・風間杜夫はパパに!糟糠の妻である嫁の間の子供は何人?娘?息子?今現在孫は3人!幸せと共にホクロも大きく除去せず成長 画像

 

余談ですが、風間杜夫さんとお嫁さんの間には分かっているだけで長男(息子)と長女(娘)のお二人が居ることが分かっています。

 


1976年NHK朝ドラ『雲のじゅうたん』

 

また、詳しい情報は分かりませんが、第一子長男は1978年前後に生まれた息子さんで、現在風間杜夫さんと奥様も長男の一家と同居されているようです。息子さんは32歳頃の段階では角川出版社にお勤めで『ザ・テレビジョン』の担当をされていたようです。

 

 

風間杜夫さんと奥様の間の第二子である娘さんは1982年前後に誕生しているようです。娘さんもアクセサリー販売のネットショップを開くなど、風間杜夫さんの母親や奥さんと同じように積極的に働かれている女性であるようです。

 

今現在、孫は3人誕生!

 

そして、全く別のお話ですが、若い頃から風間杜夫さんの左頬にある印象的なホクロが、年齢を重ねるごとに大きく立体的になっていることが分かります。

 

 

風間敏夫のホクロは幸せと連動して大きく膨らんでいっているためか、除去はしないようです。

 

◆1977年(年齢28歳)風間杜夫の役者人生の転機!劇団「つかこうへい事務所」演出の舞台作品『戦争で死ねなかったお父さんのために』初出演 以後、主要キャストに

 

さて。

話は戻って、愛しい仲間と結成した風間杜夫さんの「表現劇場」でしたが、突出した劇作家・演出家がおらず、基本的に役者しかいなかったことが原因で演劇活動としてはなかなかうまくいかなかったようです。結局3年もたずに解散となってしまいます。

 

 

鮮やかな痕を残す青春は
いつも奇跡的で
常に刹那的なもの。

 

ちょうどその頃に出会ったのが演出家のつかこうへいさんであり、それが風間杜夫さんの役者人生に転機をもたらすこととなります。

 

ここから30代前半まではずっとつかこうへいさんの作品へ出演することとなりました。他の仲間たちが「シティボーイズ」を結成する中、ひとり同じ道へ進むことはしなかった風間杜夫さん。

 


1979年「広島に原爆を落とす日」(つかこうへい作品)

 

仲間との別れ。
役者人生の転機に。

 

つかさんとの出会いは僕の人生の大きな転機でしたね。
引用元:早稲田ウィークリー

 

演出家・つかこうへいさんに叩き込まれたこと。それは次のような言葉だったそうです。

 

「つまらない人間は役者としてもつまらない」ということ

 

魅力的な人間であろう。

 

 

仲間たちと別の道を選んだ自分が、仲間たちにとって誇らしい人間であり続けられるように風間杜夫さんは一層、役者としての志を強くしていきます。

 

離れていても
称え合える存在になろう。

 

◆1982年(年齢33歳)俳優・風間杜夫の名前を轟かせた若い頃の2作品!映画『蒲田行進曲』はアカデミー賞総なめ!17億円以上の興行収入になった松坂慶子の相手役とドラマ『スチュワーデス物語』女優・堀ちえみとの熱演 画像

 

風間杜夫さん自身の役者としての転機は前述のように演出家・つかこうへいさんとの出会いだったようですが、

 

 

俳優として風間杜夫さんの名前が知れ渡ることとなったのは、もう少し後の時期となります。1982年、深作欣二監督作品の『蒲田行進曲』にてヒロイン女優松坂慶子さんの相手役・銀四郎役風間杜夫さんが抜擢されたことによります。

 

実はこちらも
脚本がつかこうへい氏
というラッキーがあった。

 

 

長く決まらなかったヒロイン松坂慶子さんの相手役でしたが、結局つかこうへい作品に多く出演していて演技に定評のあった風間杜夫さんの名前が挙がったことでの大抜擢となったようです。

 

この作品は数々のアカデミー賞部門を受賞し、17億6000万円もの興行収入を叩き出す空前の大ヒット映画となりました。

 

 

風間杜夫の名前も
広く知られることに。

 

◆1983年(34歳)大映テレビドラマ『スチュワーデス物語』で教官として堀ちえみと狂気の元婚約者役・片平なぎさとの共演、視聴率が伝説に

 

翌1983年になると前年の大ヒット映画での活躍もあり、風間杜夫さんはホリプロの金の卵であった駆け出しのアイドル・堀ちえみさんと大映ドラマ『スチュワーデス物語』で共演を果たします。

 

 

堀ちえみさんのキメ台詞

「教官!私はドジでノロマな亀ですっ!

 

それを毎回 熱烈に全身全霊励ます教官役の風間杜夫さん。

 

 

「そうだ!お前はドジでのろまなカメだ!」

 

全23回の放送で

平均視聴率が約20%
最高視聴率は26.8%を記録

 

風間杜夫さん演じる教官・村沢ヒロシが怪我を負わせた元婚約者・真理子からの執拗な脅しもドラマには欠かせないアクセントに(笑)

 

 

事あるごとにいちいち義手にハメた手袋を歯で脱ぐ「元婚約者」真理子片平なぎさ 演)がだいぶヤバかったw

 

「ひろし・・・」
ギギギギ・・・。

 

 

「ひろし・・・!」
ギギギギギ・・・。

 

 

「ひろし!」

ギギギギギギギギ・・・・!!

 

 

完全にホラー(笑)

 

再放送を見た昭和の小学生も、みんなこのシーンを真似しているほど話題でした(笑)。歯で脱いだ後、誰がどうやって手袋をはめるのかが最大のミステリーでもありました。

 

 

このドラマを持って、風間杜夫さんは俳優としてテレビドラマ、映画、舞台で多くの活躍を果たしていくこととなり、役者の地位を不動のものとしていきます。

 

 

◆1997年(年齢48歳)俳優・風間杜夫は舞台をきっかけに立川文志の落語会に出演!幼少期に祖父「落語全集」小噺録音遊びが影響? 画像

 

1997年には風間杜夫さんは舞台で落語家役を演じたことをきっかけに、落語に夢中になっていきます。1997年にはテレビで観客を前に一席演じています。

 

 

元々、風間杜夫さんは少年時代に自宅にテレビが無かったことから、ラジオの演劇番組を楽しみに視聴しており、その発展形として、風間杜夫さんの祖父の持っていた「落語全集」にあった小噺をテープレコーダーでカセットテープに吹き込んで遊ぶという「遊び」を楽しんでいたそうです。

現在でも定期的に自分の落語会で、年2回程度で高座に上がっているそうです。

 

 

◆2002年(年齢53歳)俳優・風間杜夫の「一人芝居」北京公演の『カラオケマン』画像

 

風間杜夫さんは2000年から一人芝居『カラオケマン』で全国巡演しています。

 

 

ひとつ、人より歌が好き
ふたつ、普段はサラリーマン
みっつ、皆のためなら夜通し歌うよ
カラオケマン

 

一人のありきたりな中年のサラリーマン男をテーマにした一人芝居は、反響を得て、国内だけでなく北京・スペイン・韓国・アメリカ・ルーマニア・ハンガリーで公演されたそうです。

 

海外で、日本のサラリーマンの孤独感に共感を得られたのかどうかは不明ですが、こうして見ていくと、風間杜夫さんは若い時代から人生の「ひとり旅」をこよなく愛していて、「ひとり」で全く知らない世界に居る新しい誰かとの出会いをたくさん経験し、自分の興味や新しい感性を育む活動をされている印象がしてきます。

 


2005年『LAST SHOW』

 

2005年に阿佐ヶ谷スパイダーズの『LAST SHOW─ラストショウ─』という舞台に出演させてもらったんですが、作・演出の長塚圭史に声を掛けてもらったときは、彼の作る芝居をほとんど知らなかった。でも「何か面白そうだな」と思って飛び込んでみたら、すごく刺激的でした。
引用元:早稲田ウィークリー

 

まだまだ役者として、自分を磨いてくれる新しい刺激を求め進化を続けている風間杜夫さんです。

 

◆俳優・風間杜夫はテレビドラマ・映画・舞台役者として還暦を超えた今現在も進化を続けて活躍中!2018年(年齢69歳)『セールスマンの死』では女優・片平なぎさと再演も!画像

 

2018年にはアメリカ現代演劇の旗手アーサー・ミラー氏の代表作である舞台『セールスマン』にて、風間杜夫さんは奇跡の再演を果たします。

 

 

それは、若い頃に出演したドラマ『スチュワーデス物語』で狂気の婚約者・真理子を演じた、片平なぎささんとの共演でした。

 

 

終わった時、やり遂げられた、(役を)生ききったという爽快感がありました。興奮で声が枯れそうになってしまったくらい、ウィリーという男を演じる喜びを感じました。(中略)

そういう意味でも、「セールスマンの死」は一つの節目になる作品だと思います。
引用元:http://entre-news.jp/2018/11/55414.html

 

69歳にも節目の作品がある。

 

個人的には、片平なぎささんとヒロシの狂気のシーン(あれから40年バージョン)も、本音で言うともう一度怖いもの見たさで見てみたい気がします。(ネタにしてごめんなさい)

 

 

「ひっ、ひっ、ひろし・・・!」
ギギギギギ・・・。

 

なんでこんなにわくわくするんだろう(笑)

 

 

◆2010年(年齢61歳)NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』が話題に

 

竹下景子さんとの夫婦役で話題となったNHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』では風間杜夫さんは漫画家・水木しげるさんのマイペースな父親役を務めます。

 

 

息子の茂を演じた向井理くんとは、休憩時によく話をしたのですが、「なぜ、役者を選んだの?」と聞いたときのことが印象に残っています。

大学時代、理系の研究室にいた彼は「理数系のものは突き詰めれば結果が出る。役者というのは、続けても続けても最終形がない。そんなところにひかれたんです」と答えたんです。ああ、この人いいなあと思いましたね。

引用元:NHK

 

若い俳優さんからの刺激も真っすぐに受け止めて大事にしている風間杜夫さんです。

 

 

◆2014年(年齢65歳)NHK朝ドラ『マッサン』でも口髭が似合うと近年話題に

 

2014年に風間杜夫さんが出演した朝ドラ『マッサン』では、苦労しながらも、いつでも一山当てて儲けてやろうと企んでいる豪快な男・そして複雑な心情を胸に秘めている男でもある熊虎を演じています。

 

 

大儲けしたときは有頂天になるけれど、いったん外れると情けないほど凋落の一途をたどることになる。その振幅の激しさが演じていて実に楽しいんです。
引用元:NHK

 

 

その人物の魅力を引き出していく。

 

僕が演じようとしているものの中に、どれだけ切実なものが渦巻いているのかということを探りながら表現を変えていく。可憐に見えたり、かわいそうに見えたり、あるいは滑けいに見えたり……。そうやって魅力的な人間にしていきたいと思いながら演じていました。
引用元:NHK

 

風間杜夫さんがその人物を演じることによって、風間杜夫さんが持っている人間的魅力や分厚さが演技にじんわりと浸透してくるようです。それが、物語をさらに面白く情感の溢れるものへしていく効果がありそうです。

 

 

◆2018年(年齢69歳)NHK大河ドラマ『西郷どん』では『蒲田行進曲』で共演した松坂慶子、平田満と35年ぶりの再会へ。

 

2018年に風間杜夫さんが出演したNHK大河ドラマ『西郷どん』では、若い時代の大ヒット映画『蒲田行進曲』に一緒に出演した女優の松坂慶子さん、平田満さんと35年ぶりに3人での共演を果たしています

 

 

妻の満佐を松坂慶子さん、大久保正助の父・次右衛門を平田満くんと、映画『蒲田行進曲』の3人が揃いました。それぞれ、これまでも共演はしているのですが、同じ画面に3人がいるというのはあれ以来のこと。35年も経ちました
引用元:NHK

 

答え合わせのような再会へ。

 

 

こうして、現在に至るまで風間杜夫さんは常に俳優として新しい刺激と共に進化し、「物語を、そしてその人物を魅力的なものにする」役者として制作者や視聴者に対して信頼を重ねてきたようです。

 

いつも、その心の中にあったのは、役者として人生の局面だったと風間杜夫さん自身が語られていたつかこうへいさんの言葉「つまらない人間は役者としてもつまらない」であり、宝物のような青春を共有した仲間に対しての男の約束だったように感じます。

 

 

風間杜夫さんがたくさんの人物を演じられる中でも、その人物が内包する心の起伏や、矛盾不器用な面であったり、認めたくない弱さなど、どちらかというと「すんなりといかないところ」から大きな魅力を引き出しているところ風間杜夫さんの価値観のようなものを視聴者は感じます。

 

そこに立っているだけでハンサムでカッコイイ俳優さんとして、若い時代も成立したはずの風間杜夫さんでしたが、きっとご本人は役柄に人間的魅力を添えられる真の役者になるために、たくさんの闇を越えられてきたのでしょう。

 


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