泉ピン子さんの、ツラい下積み時代、キャバレードサ回り時代を振り返った時の言葉が名言!と思ったのでご紹介します。
先の見えない、希望のない、悲壮感漂う今の現代だからこそ、このことばに励まされる若い方も多いのではないかと思います。
◆泉ピン子さんがツラい下積み時代を振り返った言葉に勇気がわく。
泉ピン子(いずみ ぴんこ)
1947年-(2020年 73歳)
今でこそ大御所の大女優として日本の芸能界に君臨している泉ピン子さんですが、女優を目指す前は「歌謡漫談家」を目指し、ウクレレ漫談家の牧伸二氏の弟子としての厳しい下積み時代がありました。
その当時は、お先真っ暗で未来も見えない、希望もない、真っ暗闇の時間だったように当時は思えていたそうです。
けれども過酷な下積み時代だった当時を振り返った時、今現在の泉ピン子さんは当時とは全く別の感想を抱いています。
―泉ピン子
その後、NHK大河出演、NHK朝ドラ『おしん』の空前の大ヒット、各局テレビドラマでの演技、橋田壽賀子脚本ドラマ作品へ常連キャストとして出演する活躍・・・と鮮やかで煌びやかな歴史や名誉をたくさん刻んできた泉ピン子さんでしたが、
そのような名誉ある輝かしい成果や記録以上に、とても尊いものが下積み時代にはあったということになります。
◆大物女優・泉ピン子さんにも過酷で報われない、下積み時代があった。キャバレーのストリッパーのことばもなかなかの言葉
高校を中退して、牧伸二氏に弟子入りした泉ピン子さんは、1966年にデビューをしていますが、そこからも長い付き人生活が続きます。
付き人時代はなんと8年以上!
泉ピン子さんの下積み時代には、キャバレーのドサ周りを繰り返すという悲壮感溢れる日々だったようです。キャバレーでの報酬は1日500円。牧伸二氏の弟子としての報酬は月収8000円。
師匠の牧伸二氏はとても厳しい人だったため、弟子の泉ピン子さんには大雨でも傘をさすことすら許さず、地方周りでも泉ピン子さんの分の宿は用意されないという状況でした。
◆苦しい下積み時代・地方キャバレーのドサ回りの苦悩とストリッパーの言葉
極貧の泉ピン子さんは、地方に行くたびに宿を自分でとってしまったらとても暮らしてはいけません。そのため、下積み時代の泉ピン子さんはキャバレーの楽屋で寝泊まりすることも多くなりました。
そうすると、今度は若い女性である泉ピン子さんを狙って、支配人が夜這いに来るなんていうトラブルも当然起こり、泉ピン子さんはそんな恐怖感を常に胸に抱えながらも、ビール瓶を傍において震えながら眠ることもあったそうです。
地方のキャバレーの舞台は、「漫談」ではなく、そもそも「女の子」が目的で来ているお客さんたちですから、罵声を浴びることもしょっちゅうで、とにかくどこにも救いのない、未来も見えない絶望の日々に身を置いていたのでした。
救いのない
未来も見えない日々
それでも、キャバレーで出会うストリッパーの女性たちを見て、「知らない男性たちに自分の裸をさらさなきゃならないなんて、さぞ辛いだろうな」と思っていたところ、
その女性たちに「歌謡漫談家でキャバレーのドサ周りをするなんてかわいそう」と直接言われたことで、世の中には色々な価値観があるんだなと思った、というユニークなエピソードもあります。
◆泉ピン子さんが下積み時代を「面白かった」と言葉に表現する気持ちの真意は?
先にご紹介した、泉ピン子さんの下積み時代を振り返る言葉には、実は続きがあります。
よくしてくださった方々に会いたい。
それは、「よくしてくださった方々に会いたい。」というものでした。
先ほど、「救いのない」「希望の見えない」「絶望の」という言葉を並べましたけれども、泉ピン子さんの下積み時代には、それでも、一粒の砂金のような、優しさを分けてくれた人々というのがきっと存在したのでしょう。
その方々に会いたい、会って、あの頃のお礼が言いたい。そのような心境を持っていることが分かります。
◆泉ピン子さんの栄光の獲得と「その退屈さ」を思わせることば
泉ピン子さんは、結局、8年の弟子時代を過ごし、9年目に「漫談家」ではなく芸能人としてのチャンスが訪れ、そこからさらに女優業へと進んでいかれました。
下積み時代など振り返ることもなく、大女優までの道を駆け上がっていったのです。そして、輝かしい舞台、大きな賞の受賞、大女優としても芸能界で君臨し、何もかもを手に入れていきました。
栄光を獲得することだけを考えて
目的を達成した。
でも。
けれども、年を重ねてふと振り返った時に、「何も持っていない、何者でもなかった哀れな自分に、優しさを分けてくれた人たち」の存在について、思い出すことがあったのかもしれません。
大女優になれば、腹の底は分からなくてもいい事を言って忖度で関わってくる存在は、たくさん周りに出てくるでしょう。そういった人たちに囲まれた時になって初めて、「あの時の優しさの価値、尊さ」に気づくのかもしれません。
また、いつもそうした腹の底にある、そのままの「生の感情」でみんなが関わり合っていた下積み時代というのは「面白かったな」、
まだゲームの途中でお先真っ暗なのにもかかわらず、「結末はどうなるか分からない」「夢中だったな」と、泉ピン子さんは思ったのかもしれません。
人生にはいつも
その時にしかない味わいがある。
きっと。
コメント