大東駿介若い頃の超極貧生い立ち。中学生で父親母親が蒸発!救いは?

俳優の大東駿介さんはドラマ、映画、舞台と様々な分野で活躍中の役者さんですが、とても人との関係性をひとつひとつ大事にされており、共演者からも愛されている俳優さんのようです。

しかし、その背景にあったものは10代の若年期に大東駿介さんに降りかかった壮絶の出来事でした。今回は大東駿介さんの半生と、その半生を経て、豊かさと強さを手に入れた姿を追いかけてみました。

◆俳優・大東駿介の若い頃の生い立ちが壮絶過ぎるとテレビ番組2019年出演『aスタジオ』『チマタの噺』、2020年出演『おかべろ』で話題 画像

 

2019年11月に俳優の大東駿介さんが人気トークバラエティ番組『A-studeio』にゲスト出演し語った若い頃の生い立ちに関する話題がかなり壮絶だと話題となりました。

 


画像:tvlife.jp

 

また、そこでの話題があまりに壮絶であったことからか、大東駿介さんがその時代に救いとなったお笑い番組『めちゃイケ』に出演していた憧れの岡村隆史さんが出演する『おかべろ』にも2020年2月に出演し、改めて大東駿介さんのその頃の時代の厳しすぎる生活が浮き彫りとなりました。

 

 

そんな壮絶な時代があったとは
想像できないような
爽やかで清々しささえ感じさせる佇まいがスゴイ。

 

 

ここからは早速、各番組で明かされた大東駿介さんが若い頃に背負っていた家庭環境や背景、そして、そうした時代を乗り越えて、現在のとても豊かで穏やかな感性を備えた俳優として活躍されている大東駿介さんについてその他の情報とも合わせつつ、探っていきたいと思います。

 

◆俳優・大東駿介の本名・旧芸名・身長他基本プロフィール経歴!若い頃の生い立ちを壮絶にしたのが実の両親!?父親が蒸発した後、母親も失踪して自宅へ帰らないまま別れ

 

大東駿介さんは1986年3月、大阪府堺市に誕生しています。2020年は34歳ということで、今回若い時代について調べていきますが、とはいえ今現在でもまだまだお若い俳優さんです。

 


画像:映画.com

 

大東駿介さんは身長が182㎝と長身である事から、俳優としてだけでなくモデルとしても活躍しているようです。

 

名前:大東駿介(だいとうしゅんすけ)
旧芸名:大東俊介
本名:大東弘典
生年月日:1986年3月13日
星座:うお座
出生地:大阪府堺市
身長:182㎝
靴のサイズ:27センチ
血液型:A型
デビュー:2005年
事務所:A.L.C.Atlantis
趣味:写真、自転車、マウンテンバイク
特技:料理、飛び出す絵本作り、陸上競技

 


画像:モデルプレス

 

大東駿介さんの旧芸名「大東俊介」はデビューした時に所属していた事務所である「トップコート」時代のもので、現在は2011年12月に所属事務所を「A.L.C.Atlantis」へ移しており、その際に現在の芸名へ変更しています。

 

 

◆1986年 バブル経済スタートと共に大阪府堺市で誕生!兄弟はおらず、ひとりっ子。近所にはいとこや親戚も

 

大東駿介さんが生まれた1986年(昭和61年)はチェルノブイリで原子力発電所の事故があった年であり、国内においては一般的にバブル経済が始まった年と言われている年です。

 


画像:cinema.ne.jp

 

また、 男女雇用機会均等法施行おニャン子クラブが大ブーム、 土井たか子さんが日本主要政党で初となる女性党首となった年であり、女性の活躍がめざましく進んできた時代でもありました。

 

 

また「葬式ごっこ」で話題となった中野富士見中学いじめ事件が起こっており、富士写真フイルムが世界初の使い捨てカメラ「写ルンです」を発売しています。

 

まだまだ日本に
大きな熱量があった時代。

 

大東駿介さんはそんな時代に大阪堺市でひとりっ子として誕生しているわけですが、近隣に親戚もたくさん住んでいたようです。いとこ達とは幼少期からよく遊び、中でも8歳年上のいとこからは色々な遊びを教えてもらっていたようです。このいとこが後に大東駿介さんの兄貴と慕う存在となった方かと思われます。

 


画像:https://japarazzi.jp/daito-syunsuke

 

子供の頃の大東駿介さんはガリガリに痩せていたという証言があります。

 

 

◆1994年(年齢8才)前後 小学校時代3年生の時にタクシードライバーだった実の父親の失踪

 

小学校時代の大東駿介さんはとても活発な少年だったようで、グループの中では中心的存在であり、毎年、自分から立候補して学級委員を務め、さらに演説がしてみたいという事が理由で、児童会の役員も自らやっていたようです。

 


画像:『チマタの噺』

 

かなり活発な少年時代。

 

そういった活発な少年であり、後に陸上部に所属し短距離走を得意としていたことを勘案すると、小学校時代から大東駿介さんは運動神経もかなり良かったのではないかと思います。

 


画像:twitter

 

運動神経がいい男の子は
小学校時代のモテのエース。

 

そして例に漏れず、小学校時代の大東駿介さんは女の子からモテモテだったそうで、バレンタインデーのチョコを20個も貰ったこともあったほどです。一般の小学生で20個はかなりの武勇伝!しかし、小学校6年生の時には引越しすることが決まったことで意識した女の子に大東駿介さんが片想いをしていたという切なくて実らない初恋もありました。

 


画像:ザ・テレビジョン

 

この時代に大東駿介少年が見た『仮面ライダー』への憧れが、後に役者を目指す原動力となっていくことになります。

ここまでだけを聞けば、ごくごく一般的な少年の小学生時代という風景を思い浮かべますけれども、大東駿介さんには同時代にとても衝撃的な事が起こっています。

 

 

◆少年時代の大東駿介が直面した、タクシー運転手の父親の無言の蒸発と両親の離婚 画像

 

大東駿介さんの実の父親タクシードライバーという職業でした。職業柄、普段からなかなか自宅で顔を合わせる機会もなかったそうです。唯一、誕生日の日だけ、父親の「職場」であるタクシーの中で会う事が出来たという切ない思い出を持っています。

 

切ない・・・。

 


画像:https://cinema.ne.jp

 

そうしている内に大東駿介さんは父親とはいつの間にか全く会う事が出来なくなり、小学校3年生の時に母親が友人に「離婚した」という話をしていたことで、そこで初めて両親の関係と状況を理解できたそうです。

 

何かしら理由があったのかもしれませんが、大東駿介さんは何も知らされずに無言で父親に去られてしまったという事になります。子供の心で、どんな風にそれを受け止めたのだろう・・・と思うととても切なくなる内容です。

 


画像:ザ・テレビジョン

 

時間が経ってから、
父親の居場所が分かったが
会うことをしなかった。

 

見つかったという連絡があっても「会うもんか」と意地を張って再会せず、30歳手前になって「やっぱり会おう」と思った時に亡くなっていたことを知った。父親も俳優をしていた時期があった。
引用元:Wikipedia

 

やっぱり会おう
と思った時には

すでに他界。

 

すべてがすべて、切なすぎるエピソードとなっている大東駿介さんと父親の思い出です。たった一つだけ、大東駿介さんの父親も俳優を目指している時期があったというのが、とても数奇な親子の運命です。

 

 

◆2017年9月(年齢31歳)俳優・大東駿介が実の父親について考えさせられた主演作映画『望郷~光の航路』画像

 

大東駿介さんが主演した2017年映画『望郷 光の航路』に出演された際に、この映画について語る中で、自身の父親について胸の内をお話されています。

 


画像:https://cinema.ne.jp

 

そのお話によれば、大東駿介さんと、映画『望郷』の中のという人物には「とある共通点」がありました。

 

の思う父親像を自分と比べたとき、重なったところが結構多いんです。僕も父親を亡くしているんですが、父親に対する思いをないがしろにしているというか、父親についてあんまり考えたことがない。

劇中で、も教職について生徒と関わることで、初めて教師だった父親が見えてくる。僕は親父と向き合ってこなかったけど、台本と向き合っていくうちに、つまり仕事を通して、父親と向き合っていくことになったんです。そういうところはと一緒で、大きなきっかけをもらった作品だと思います。

引用元:https://cinema.ne.jp/

 

父は何を想って死んでいったのだろう。

 


画像:映画『望郷』

 

できることは
祈りを返すことだけだ。
よく生きていることを
見ていて欲しい。

 

◆1998年(年齢12才)堺市立旭中学校時代 1年生で母親が時代の超極貧生活!母親が失踪し、超極貧生活へ 同級生友達5人組の存在

 

大東駿介さんは中学生となり、そのまま学区内の公立中学校である堺市立旭中学校へ進学します。中学校では現在も特技として挙げている「陸上競技」、短距離走の選手として部活に所属していました。

 


画像:『おかべろ』

 

中学時代、一気に
「人見知り」に。

 

小学生の時には活発で女子生徒からもモテモテの大東駿介さんでしたが、中学生になると急激に「人見知り」となってしまったようです。

 

もともと思春期を迎えたことによってそうした状況となったことも理由としてあったようで、この時にできた大東駿介さんの地元の仲良しの同級生仲間5人は皆、人見知り気味でお互いそうした性質を共有していたようです。

 


画像:『おかべろ』

 

彼らの存在によって、その後の大東駿介さんは精神的に支えられることになるわけですが、大東駿介さんが「極度の人見知り」になっていく過程として、もう一つ強烈な事実が中学生の大東駿介さんを襲っていました。

 

母親がまさかの失踪。

 

◆俳優・大東駿介の母親が失踪するまでの前後の経緯が2004年公開映画『誰も知らない』に酷似している手を差し伸べるのも友達 画像

 

大東駿介さんの自宅では住居のほかに母親がクリーニング店を営んでいたようで、日常から母親が少しの外出で不在の際には、店の表のシャッターが半分閉じられたままという状態がよくありました。

 


画像:https://www.suruga-ya.jp/product/detail/G5373490

 

そして、大東駿介さんが中学1年生になる頃には表のシャッターが半分閉じられた状態である自宅に戻ると、階段の所に現金が少しおいてあり、母親が家に帰ってこないという日が増えていったそうです。やがて母親がお金を置いて家に帰らない期間は2日、3日、7日・・・とその日数を増していき、とうとう全く帰ってこない日々が訪れたそうです。

 

店のレジの現金を使って、
耐え忍ぶ日々。

 


画像:映画『誰も知らない』

 

この状況が実際にあった直後の2004年に公開された映画『誰も知らない』という「1987年巣鴨子供置き去り事件」という育児放棄事件を元につくらた衝撃の作品がありましたが、大東駿介さんの当時の生活はかなり近い状況と言えそうです。

 

その物語では、主演を務める柳楽優弥さん演じる兄弟の長男が、現金が尽きてライフラインの途絶えた自宅で幼い弟たち3人を守りながら共に生きていこうとする生活を描いた映画でした。

 


画像:https://cinemagene.com/post-15613/

 

同じように母親の帰りを待ちつつ、とうとう大東駿介さんが中学2年生の頃には母親が全く帰ってこなくなったことによって、1人暮らしになってしまったそうです。

 

しかし、
大東駿介はひとりっ子。

 

 

◆俳優・大東駿介の中学時代の極貧生活の風景に主食の駄菓子「どんどん焼き」その中にもあった誇り 画像

 

ひとり自宅に取り残された中学生の大東駿介さんは映画『誰も知らない』に出てくる子供たちのように出生届を出されていないわけではなかったので、学校があり、おそらく学校給食も大型の休みに入らなければ、あったのでしょう。

 

 

とはいえ、それ以外の食事に関してはクリーニング店のレジの中の現金を使って凌ぐしかなかったようです。日に日に現金も尽きていく中で、とうとう1円玉を集めて10円玉の駄菓子を買って耐え忍んでいたそうです。このお菓子が主食となっていったそうです。

 

どんどん焼きに助けられた。

 


画像:Amazon

 

少し豆が入っている。

 

もち米で出来たあられの中に少し豆が混じっていることで、栄養価がいいだろうと当時、中学生の大東駿介さんは考えていたそうです。けれども、この「どんどん焼きを全て1円玉で買う」という行為が大東駿介さんにとっては耐え難かったようで、1店舗で1つだけしか買わないようにして、自転車をこいでどんどん焼きを買うためにいろいろな店を訪ねて買い歩いていたそうです。

 

コンビニとかで買うと恥ずかしいから、一つの店で1個。また自転車こいで違うコンビニで1個。かわいそうなやつと思われたくなかった
画像:Yahoo!ニュース

 

大東駿介さんのこの時期の話をするテレビや記事を見回してみると、こうしてつらい現実が起こっている現実に対して必死で自分自身の自尊心を保とうとしている状況が浮かび上がっています。

 


画像:https://yumeijinhensachi.com/archives/10767

 

「かわいそうな奴と思われたくなかった」という表現もそうですが、両親に対しても状況を客観的に見れば子供に対する「育児放棄」であり、「両親から見放された」という表現をしてもおかしくないところ、大東駿介さんはそうした表現を一切していません。

 

それはきっと、
自分が誇りある生き方をするため。

 

映画『誰も知らない』の中でも、兄弟の壮絶な生活に気づいた不登校の女子中学生・沙希が過酷な状況に置かれた兄弟を助けようと、知らない男性とカラオケをして手に入れたお金を渡そうとしますが、主人公が拒否するシーンがあります。

 


画像:映画『誰も知らない』

 

そこには、人間として生きることを
最後まで放棄しない誇りと強さがあります。

 

◆俳優・大東駿介が極貧生活にあった中学生時代に救いを差し伸べてくれた担任教師と今現在でも大好きな「チョコスティックパン」「ジャムマーガリンコッペパン」画像

 

大東駿介さんがこの壮絶な中学生時代の話をした際に「その生活の中で最もおいしかったものは?」と出演した番組で質問され、大東駿介さんはこの過酷な生活の中で手を差し伸べてくれた人々との話を語っています。

 


画像:https://yononakanews.com/entame/4267/

 

当時、大東駿介さんが通っていた中学校は公立中学校だったようなのでおそらく日常は給食があったと思われますが、お弁当が必要な日に昼食をとっていない事に気が付いた人が居ました。当時の大東駿介さんのクラス担任の先生だったそうです。先生は、どこかでパンを購入してきてくれて、他の生徒が目にすることがない廊下などでそっと大東駿介さんに手渡してくれたそうです。

 


画像:ヤマザキ

 

「そのとき食べたスティックチョコパンジャムマーガリンのコッペパンが、いまでも大好きですね。昨日もスティックチョコパン食べました」と笑顔をみせた。
引用元:スポニチ

 

昨日も食べました(笑)

 


画像:ヤマザキ

 

俳優として活躍し、知名度も生活力も十分手にしたであろう今現在でも、大東駿介さんにとっては菓子パンの美味しさだけでなく当時の担任の先生の優しさがつまった何物にも代えられない大切な味となっているようです。

 

 

◆俳優・大東駿介が極貧生活にあった中学生時代 ウサギとの「ひきこもり」状況を打破してくれた同級生の友人たち、5人同級生友達との風景。その中にお笑い芸人「金属バット」の小林圭輔も

 

陸上部の部活でも「短距離」選手として活躍し、担任の先生にも助けられていた大東駿介さんでしたが、母親が「帰ってこない」時間が続いたことや極貧生活による疲弊から次第に「引きこもり」の生活へ突入していったそうです。

 


画像:oricon

 

当時は
「世の中に怒りしかなかった」

 

たった12歳、13歳の子供が両親に置いて行かれ、そう思うのも無理はない気がします。そこからは自宅に「引きこもり生活」となり、小学校5年生の時に母親が拾ってきたウサギとたった二人で過ごしていたそうです。大東駿介さんにとって、そのウサギは友人であり、その生活における心の支えだったようです。

 

「引きこもり生活」になった経緯について、大東駿介さんは多くを語っていませんが、この時期には自宅の家のライフラインが途絶えたという話をされています。水も自由にならないような生活だった可能性があることを考えると、おのずと語られない「引きこもり生活」になった理由の背景が浮かび出てくる印象があります。

 

 

その頃の自分について、大東駿介さんは

「野良犬みたいになっていた」
「助けてくれる人にも牙をむいていた」

と語っています。

 

鏡に映る自分自身に何かを話しかけたり、ウサギに話を聞いて貰ったりしながら、暗くなる「夜」の到来に日々怯え、そこから夜が明けて町が動き始める音がする朝を迎えると、ますます外界が怖くなっていったそうです。

 

自分は社会に出ちゃいけないんじゃないかと思えて
引用元:サンスポ

 

その未来の全く見えない「引きこもり生活」を打破してくれたのは、中学校の地元の同級生友人たちでした。彼らとは入学当初から「人見知り同士」として皆意気投合していた5人組だったようで、突然、大東駿介さんの自宅のドアを壊して家に押しかけてきて、そのうちに大東駿介さんの自宅が仲間5人のたまり場のようになったそうです。

 


画像:https://www.tv-ranking.com/detail/33452/

 

彼らと大東駿介さんは5人でバンドを結成したり、パロディや即興劇をビデオ撮影したり、一緒にたくさん映画を見たりとお互いに感性を高めて育んでいくような「青春時代」を共有した友達でした。

 

5人で保健室に入り浸ったこともあったり、大東駿介さんが最も過酷な極貧生活に置かれていたはずの中学2年生の事には、皆で自転車で大坂の天神祭を訪れ、帰り道で3人の自転車のタイヤがパンクしたことから5時間みんなで歩いて帰ってきたというリバーフェニックスばりの青春も謳歌していたようです。

 

I never had any friends later on
like the ones I had when I was 12.
Jesus, does anyone?

(12歳のときのような友だちは、もう二度とできない。みんな、そうなんじゃないの?)
引用元『スタンド・バイ・三―』

 


画像:映画『スタンド・バイ・三―』

 

大東駿介さんのその5人の親友のひとりに吉本興業のお笑い芸人コンビ「金属バット」小林圭輔さんもおり、少なくとも2008年までは残り3人はバンド活動をやっていたそうです。大東駿介さんの自宅でみんなで過ごした中学時代の時間が原風景となっているようなそれぞれの進路です。

 


画像:connect.vision

 

「金属バット」小林圭輔さんによると、当時、5人の友人たちは誰も大東駿介さんがそこまでの窮地にあるという認識が無く、それにしても「あまり親が家にいない家だなあ」という事は何となく感じており、それだけにみんなの「たまり場」として定着していたというような話をされていたそうです。

 


画像:デイリー

 

一方、その話とは裏腹に、友達の中には大東駿介さんを自分の自宅へ招き、帰りにその子の家のお母さんに「夕飯食べていきなさいね」と言われ、夕食をごちそうになったこともあったそうです。

 

そこに並べられた料理がお寿司カレーライス焼きそば・・・と炭水化物バイキングのような物凄い料理の数々で、当時は「一般家庭の夕飯ってすごく豪華なんだな」と思っていたそうですが、「今思うと自分の為にきっと用意してくれていたんだと思う」とその当時を振り返り、その温かい友人家族のお気持ちに感謝をしていました。

 

 

◆俳優・大東駿介が極貧生活にあった中学生時代に、心の支えだったのがテレビ番組『めちゃモテ』『めちゃイケ』!岡村隆史に逢えた感激を『おかべろ』で叫ぶ 画像

 

中学生時代の大東駿介さんにとって、もう一つ、心の救いとなったのは人気バラエティ番組の『めちゃモテ』『めちゃイケ』メンバーの笑いだったそうです。特に岡村隆史さんは自分にとっての救世主的存在だったようです。

 

会うなり、大々的に告白。

 


画像:『おかべろ』

 

同じくめちゃイケメンバーだった加藤浩次さんとも共演を果たし、色々な相談にのって貰ったり、喝を入れて貰ったりできるようになった今の自分自身に本人がビックリしているようでした。

 


画像:『おかべろ』

 

記念写真1枚撮るにも大興奮の大東駿介さんでした。

 

生きてるもんですね
ありがとうございます。
大東駿介

 

色紙にはこんな大東駿介さんの言葉が添えられていました。大きな過去の壮絶体験を話す回だったにもかかわらず、これだけの爽やかで清々しい笑顔ができる大東駿介さんがバケモノのように見えます。

 

ホントに強い。

 

中学生時代の話に戻るとその後、ようやく大東駿介さんは叔母の家へ引き取られ、そこで幸い、我が子のように育てられたそうです。この間にどんな経緯があったのかは不明ですが、それなりに大事件という事になったはずです。しかし、そうした人々の働き掛けがあって、高校にも進学できることになったようです。

 


画像:https://coraggioia16.com/geinou/1912/

 

俳優になった今も、助けてもらった人々に感謝や恩を返せていないと語る姿には、これからまだまだ活躍していくエネルギーに満ちていました。

 

当時の心境について大東駿介さんは別のインタビューではこのように語る姿もありました。

 

本人は「大変だった時期とかも、ちょっと面白いと思っていた」とポジティブに過ごしていたそうで、当時からすでに芸能界入りを目標にしていたゆえ「自分を商売道具にできたなたら、どんな経験も財産」と、大東いわく考え方の「逃げ道」を持つことができていたのだという。
引用元:モデルプレス

 

また、大東駿介さんが出演した2018年1月の舞台で手塚治虫原作・浦沢直樹作画の漫画を舞台化した『プルートゥ』では、おそらくその時代に苦しみながらもそれを自身の想像力で乗り越えた、と思われる部分について、「自分が人よりも誇れる唯一の特別な部分」と語っています。

 


画像:https://www.oricon.co.jp/news/2113400/photo/1/

 

僕は子どもの頃から一人遊びが好きだったこともあって、想像力を働かせるのが得意だし、いろんなことに興味を持てる。これは自分が人よりも誇れる、唯一の特別な部分

画像:デイリー

 

こうした気持ちがあるからこそ、両親に対しては悲しい思いもあった半面、「自分に無二の力を与えてくれた人でもある」という消化の仕方を大東駿介さんはしているのかもしれません。立派としか言いようがありません・・・。

 

余談ですが、私も同じようにひとりっ子時代が長く、両親が共働きだったこともあり、両親の間、つまり大人である夫婦の間には家族なのに決して入れて貰えない邪魔者でした。

私がおてんばで育てにくい子だったことも要因としてはありますが、常に何かすると日々父親に殴られ、口を封じ込められてしつけをされている状況でした。(今日も殴られた、今日も殴られたと途中から「正」の字を書いていましたw)

周りの友達やいとこ達には兄弟姉妹がいるけれど、私にはそこでも全く味方が居ないということに成長とともに気付き、せっかく楽しく遊べて嬉しかったのに(いつもひとりだから)最終的にはいつも決まってのけ者にされる・・・という大人になって思うと悲壮感漂う時代が幼少期に続いていました。

しかし同時に、そうした境遇下でもひとりで遊び、ひとりで寝て、ひとりで過ごすという事が当たり前で苦でなかったことや、そこで自然の力と自分だけしかない世界を感じたり、空想の世界で暮らしたりという時間がとても豊かで楽しかったものとして今も記憶に残っています。

想像力は生き延びるための力。

また、大東駿介さん同様、そこに対して人とは違う価値ある個性という気持ちを幸い持てています。おそらく想像力が無ければ、耐え難い時間だったに違いないのに、そうした記憶は大きなダメージとして残ってはいません。

とはいえ、私は父親に殴られるたびに自宅の柱に父親の悪口を憎しみを込めて刀で彫り刻んでいた子供だったので(苦笑)、だいぶ人間性や魂レベルが違うよなあ(笑)と思ってしまいました。(今思うと相当怖い子供ですw)

 

いい自分へ導く「思考回路」「言葉」をその想像力から自然と導き出してきた様子がうかがえる大東駿介さん。

 

 

◆俳優・大東駿介がテレビ番組『おかべろ』で挙げた「一番の贅沢品」は「炭酸水」 画像

 

そんな大東駿介さんは過去の壮絶な時代があったためか、現在でも清涼飲料水のような「ジュース」という飲料は殆ど飲まないそうです。

 


画像:『おかべろ』

 

そして最も贅沢なもの、と感じたのは「炭酸水」だったそうです。水がしゅわしゅわしただけで100円もするというのがビックリで、贅沢だなあと思ったそうです。

 

 

◆2001年(年齢15才)大阪府立堺工科高等学校時代は病的な「対人恐怖症」レベルの人見知り。俳優・役者の将来を本格的に目指す。

 

男子校である大阪府立堺工科高校へ進学した後の大東駿介さんは、中学時代の単なる「人見知り」レベルではなく、対人恐怖症レベルの病的人見知り」となってしまいます。性格も人と目が合うだけで手がぐっしょり汗でビショビショになってしまうほどだったそうです。

 


画像:https://skyscraper-oasis.com/

 

「眼鏡をかけてみたら『人ってこんな目で俺のこと見てるんや』と思って。そこからめちゃくちゃ怖くなって」と眼鏡やコンタクトをつけずに過ごし、手汗もとまらなかったという高校生活
引用元:モデルプレス

 

これには中学時代の家庭の問題があった事も考えられますし、親戚の家に引き取られ、馴れない生活と新しい学校という二重の生活の中での影響もあるのかもしれません。

そうして、「対人恐怖症レベルの人見知り」の高校時代の大東駿介さんでしたが、一方で「役者になりたい」という気持ちが高まり、進路を決意したのもこの時期であったようです。

 

◆大東駿介は高校卒業後の若い頃に役者を目指し状況!兄貴代わりの従兄(いとこ)と同居。1年後にオーディションに合格し芸能界デビューを果たす/

 

誰にも相談せずに役者の道を目指して上京した大東駿介さんでしたが、それでも唯一、進路の相談にのって貰っていたのが、大東駿介さんが兄貴と慕う従兄(いとこ)でした。出演した番組『A-studio』での話によると、大東駿介さんがその後引き取られた親戚の家にいた従兄(いとこ)だったようです。

 

親戚の家で我が子のように育てられたという大東駿介さんには、こうして兄弟のような存在の従兄(いとこ)が居てくれたことも大きな救いとなっていたようです。

 


画像:モデルプレス

 

その兄貴分の従兄(いとこ)大東駿介さんは上京後、東京で同居生活をしていたようです。

 

 

◆2005年(年齢19歳)病的対人恐怖症を克服するために若い女性が押し寄せる原宿のカフェでバイトし克服!オーディション合格を果たし芸能界デビュー!

 

とにかく対人恐怖症レベルの人見知りを克服しなければ、役者としての未来は開けない、ということで当時「一番怖い人種」のいる「一番怖い職業」で働いて克服しようと考えた大東駿介さんは、原宿のオシャレなカフェでバイトをすることになりました。

 


画像:モデルプレス

 

最も苦手な人種の集まる場所で
バイトをするという滝行に挑む。

 

そのアルバイト先で出会ったのがオーストラリア人の店長のジュリアンさんでした。ジュリアンさんは大東駿介さんに緊張しないで話す会話の極意を教えてくれたそうです。

 

「相手に興味をもって聞け」と緊張してしまう原因の人との会話の極意も教えてもらった
引用元:モデルプレス

 

恐怖が好奇心や興味に変化。

 


画像:https://banbi-eye.com/archives/878

 

そして、そのお店でアルバイトを続けていくうちに、大東駿介さんは仕事に楽しさを覚え、すっかり人見知りを克服し「全てが好奇心になった」「何もないことも、さらけだせる状態」になったそうです。人とのかかわりについても自信を持てる状態となりました。

 

そのタイミングで受けた
オーディションに見事合格。

 

オーディションでは今までのエピソードからは想像できない事ですが、大東駿介さんがピースをしながら会場入りしたことが芸能事務所の目に止まったことで、現在に至ったというお話がありました。

 

上京後1年。

 

見事に大東駿介さんは上京後1年となる19歳でオーディションに合格します。そのオーディションもスゴイ!

 

1万2000人の中から選ばれた!

 


画像:https://yumeijinhensachi.com/archives/10767

 

大東駿介さんのデビューのきっかけは「FINE BOYS  専属モデル」という事だったので、そのためのオーディションだと思われます。

 

 

◆2005年(年齢19歳)ドラマ『野ブタ。をプロデュース』で役者デビュー「人」への興味を膨らませていく

 

大東駿介さんの役者としてのデビュー作は社会現象にもなったドラマ『野ブタ。をプロデュース』でした。

 


画像:twitter

 

別件で、大東駿介さんは映画『クローズZERO』の撮影の際に先輩・小栗旬さんから「カメラが回る合図が出た瞬間に前の役者を押しのけて前に出ていた」という弱肉強食エピソードを聞かされたようです。

比較すると、そういう意味では、圧倒的に脆弱俳優である大東駿介さんはデビュー作出演当時の様子をこんな風に語っています。

 

「リハーサルの時点ですぐ人の後ろに隠れてしまうの。カメラが怖くて」とまだ克服しきれていない人見知りに苦しみながらの撮影となったが「その時散々怒られて、辛いこといっぱいあったけど、それが面白かったですねえ」としみじみ。「あれくらい無我夢中に、後先考えずにエネルギー持てるってすごかったな」と若さゆえの勢いを振り返っていた。
引用元:モデルプレス

 


画像:http://kininalu-news.net/daitosyunnsuke-1

 

 

「緊張していた」というデビュー作ではありますが、客観的に見てみても、ジャニーズアイドルの面々に囲まれてているのに全く遜色ない印象です。元々、大東駿介さんは俳優さんとしても花があるという事なのかもしれません。

 

自身のそれまでの経験からなのか、大東駿介さんは他人を押しのけて生き残るというよりは、共演者ひとりひとりへ興味を持って、それこそ「おしゃれカフェバイト」ばりにその人の魅力や素晴らしい所を見出している印象を覚えます。

 

共演した芸能人の方々を決して悪く言ったりせず、それぞれの個性的なエピソードをトーク番組でも語りだす様子は、本当にその共演者お一人お一人との接点を大事にしているのだなあという印象を受けました。大東駿介さんにとって、中学生時代に自分の人生を救ってくれたのは「人」だったからだという事に尽きるのだと思います。

 

 

◆先輩女優・天海祐希からは「使命感」を持って生きていくという勇気を貰った/大東駿介バラエティ『スナックあけぼの橋』共演

 

大東駿介さんが現在でも親しくしているという女優の天海祐希さんからは、人としても俳優としても進んで生きていくことに対して勇気を貰える言葉を貰ったそうです。

 

 

自分がやることに使命をもちなさい、自分の生きることに使命を持ちなさい」と言葉を貰った(中略)「僕みたいな人間が、天海祐希さんに『使命をもちなさい』と。使命として持っていいんだとすごい自信になった」
引用元:モデルプレス

 

お礼に
「天海降臨」キャップをプレゼント(笑)

 


画像:twitter

 

なかなか
外ではかぶれない・・・とのことw

 

 

大東キュン(笑)

 

大東駿介さんは天海祐希さんから俳優として、人間としての在り方にとても大きな影響を受けたそうです。天海祐希さんも大東駿介さんをとても可愛がってくれているようです。

 

 

◆2012年(年齢25歳)の時に先輩俳優・中井貴一に愛情で背中を押して貰った/大東駿介 NHK大河『平清盛』で共演

 

NHK大河ドラマ『平清盛』では大東駿介さんは大先輩俳優の中井貴一さんと共演します。中井貴一さんが初めて大河ドラマに出演したのもちょうど撮影当時の大東駿介さんと同じ25歳という年齢だったという事から、ふたりには共通点がありました。

 


画像:twitter

 

その際に中井貴一さんに言われたことは、「これからNHK大河ドラマの出演というのは俳優人生のターニングポイントになるから」というお話でした。何かそこから俳優としての指針を語られるのかと思いきや・・・

 

そういうタイミングで、お前のターニングポイントに立ち会えることが嬉しい。

 

わー。

 


画像:twitter

 

なんや、この人!と思った。

 

中井貴一さんの背中を押してくれるような愛情たっぷりの一言に、「ちゃんと自分で踏み出していかなければならない」という気持ちにさせてもらったというお話でした。

 

 

◆2010年(年齢24歳)~2020年現在 先輩お笑い芸人・千原ジュニアは優しい人/大東駿介ドラマ『新・ミナミの帝王』で共演

 

2020年1月に初回放送から10年と長期ドラマとなった『新・ミナミの帝王』シリーズの最新作として18作、19作目が放映されました。主人公の萬田銀次郎を演じる千原ジュニアさんと大東駿介さんとの関係も10年という事で大東駿介さんにとってはデビューしてからの年月の3分の2を過ごしてきたドラマという事になります。

 


画像:テレビドガッチ

 

10年前にドラマ『新・ミナミの帝王』開始した当初は、ドラマの雰囲気や既に芸能界では大御所芸人である千原ジュニアさんとの距離感を掴めず、大東駿介さんはとても緊張していたそうです。

 

現在のような馴染みの出演者同士ではないスタート期のドラマ撮影現場は緊張感が漂っていたようでしたが、そんな1作目のスタジオ撮影で、あろうことか千原ジュニアさんにとあるトラブルが起こったそうです。

 

マネージャーが
購入したばかりの千原ジュニアの「iPhone」を
誤って落下。

 

「おいっ!」

 


画像:サンスポ

 

こわいよーw
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 

この瞬間、まだ緊張感でピリピリした現場スタッフや役者陣は皆一斉に、緊張が一気に高まったそうです。その張り詰めた緊張感にとっさに気づいた千原ジュニアさんは、場を和ませようと

 

お前、りんご(アップルマーク)欠けてるやんけ!
引用元:oricon

 

マネジャーに言い、その一言で、一気に現場が笑いに包まれたそうです。

 


画像:テレビドガッチ

 

その千原ジュニアさんの瞬間的な機転によって、ガラッと切り替えられた場の空気を生で目撃した大東駿介さんは、とても感動を覚えたようです。

 

ああ、この人は優しい人なんやなって思いました。今でも忘れられない。あの緊張と緩和が、ジュニアさんを物語ってて。あれがすべての始まりでしたね
引用元:oricon

 

これが、千原ジュニアさんとの交流の第一歩であり、今でも大東駿介さんが抱く尊敬の気持ちを集約した出来事でもあるようです。

 

こうして、色々な共演者からそれぞれの素敵なところを感じ、特別の想いを持っている大東駿介さんでした。

 

◆【2020年最新】 大東駿介34歳となる今現在 障害をテーマにした友達・HIKARI監督映画『37セカンズ』が公開!舞台『“KERA × 古田新太”新企画 新作公演』に出演予定 twitter画像

 

2020年2月、大東駿介さんは映画『37セカンズ』という出生時に37秒間呼吸が止まったことで脳性麻痺を起こしてしまった女性の生き方を描いた映画に出演されています。

 

Twitter

 

大東駿介さんにとっても特別な思い入れのある映画となったようです。

 

 

この作品に出演したきっかけもHIKARI監督との人間関係で発生したものだったようです。最初は大東駿介さんはHIKARI監督が何をしている人かも知らないで会話をして、友人関係となりそれから約1年後に直接連絡が来て、出演することとなったようです。

 

 

◆2020年6月現在~俳優・大東駿介は舞台『“KERA × 古田新太”新企画 新作公演』に出演!

 

2020年6月には、大東駿介さんはケラリーノ・サンドロヴィッチさん、古田新太さんという「個性」にも「演技」に厳しい面々と共演されるようです。これは緊張しそう!

 

 

俳優の古田新太さんというと、「主役でもないのに完璧に作りこんでくる役者を本番でぶっ壊す」という事をモットーにしている俳優さんであり、「演技」「リアリティー」「幸福力」「オモシロいとは?」というあらゆる角度から刺激が大きい先輩となりそうです。

 

またコテンパンに
されそうな匂い(笑)

 

6月から7月には東京・下北沢の本多劇場ほかで『“KERA × 古田新太”新企画 新作公演』がラインナップ。出演者には古田新太、小池栄子、秋山菜津子、大東駿介、近藤公園、尾上寛之、板垣雄亮、小柳心、福地桃子、大倉孝二、八十田勇一、入江雅人、犬山イヌコ、山西惇が名を連ねる。

 

しかし、大東駿介さんは2016年から「劇団☆新感線」での舞台に出演しています。そこからまた改めて一緒にということから、何かしらのご縁があるのかもしれません。

 

また、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんというと、大槻ケンヂさんと1983年から「空手バカボン」という音楽活動を行っている方でもあります。最近たまたま記事にしたばかりのタイミングでお二方の名前に再会したので正直びっくりしています(笑)

 

ケラリーノ・サンドロヴィッチは「古田新太座長との『ナンセンス三部作』は2016年の『ヒトラー、最後の20000年~ほとんど、何もない~』を以て素敵に完結したわけですが、チームは無くなったわけではありません。新たな参加者も加わり、今度は強烈な『ブラックコメディ』を作るつもり。昨今のひっどい世の中には真っ黒な喜劇で一石、いや、七、八石投じたい」とコメント。

 

 

現在俳優として活躍する自分自身について、大東駿介さんは「苦境時代に夢に思い描いていた姿そのままだ」と笑顔で語っています。

また、映画『23セカンズ』の際のインタビューで語られていた大東駿介さんの言葉がとても印象的だったので最後に添えさせていただきたいと思います。

 

 

物事を「特別」にするのは、自分の興味。

 

運命って言っちゃえばあれですけど、

なんか、自分が生きる中でいかにいろいろなことに興味を持つか「運命的」と感じる出会いは増えるんだなと。何か自分の興味を増やしたことによって、これが「特別」になるから、自分はここ最近仕事をするときにそれを意識しています。

引用元:『23セカンズ』ロングインタビュー

 

勝手に物事は
「特別」になっていく。

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コメント

  1. kei より:

    一カ所、本人じゃなくて伊藤健太郎さんの写真が使われていますよ。

    • gira2gira2 より:

      keiさん、ご指摘ありがとうございます。お恥ずかしながら、伊藤健太郎さんという方を知らなかった為、若い時の顔立ちがとても似ているため驚いてしまいました。まだ混ざっている可能性がありそうなので、もう一度点検してみます。ありがとうございました。

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