今回は熱い芸術家・岡本太郎さんの名言についてピックアップします。「女を愛する資格がない男」に対する痛烈な批判となっていますが、女性である私も多く考えさせられるものがありました。
◆岡本太郎が「女を愛する資格のない男」をメッタ斬りにした名言が現代に刺さる
岡本太郎(おかもと たろう)
1911年-1996(享年84歳)
日本を代表する爆発系芸術家の岡本太郎さんは、エネルギッシュな名言をたくさん残している表現者のひとりです。
1970年には、大阪で開催された万国博覧会で岡本太郎さんの代表作ともいえる『太陽の塔』が発表し、高度経済成長で盛り上がる日本を象徴するような力強いシンボルとなりました。
「芸術は爆発だ!」
という言葉が岡本太郎さんの言葉として有名ですが、それに象徴とされるような別の言葉として、「芸術はうまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」というものも有名です。
人間を人間たらしめる創造性
命のエネルギーや熱量
その集合体である感情
それらをとにかく何よりも大事にとらえているのが岡本太郎さんです。
評価された既存の、表層を整えてある「理性的で」「美しい」芸術作品をメッタ斬りにする芸術家であり、またあらゆる権力に対する反逆のようなエネルギーを生涯貫いていった、パワフルな芸術家でした。
そんな岡本太郎さんは、同性である男性に対しても、名言でメッタ斬りにしています。
そんな男は女を愛する資格はない。
―岡本太郎
これは、私のような女性側の立場でも、とても突き刺さってくるものがある言葉である気がします。
◆岡本太郎が最も忌み嫌うものは、人間の「感性」を鈍らせ、拘束する「理性」
大人になって、特に「結婚」などを意識する年齢になると、男性だけでなく女性も結婚相手として相手を色々な角度から「評価」しようとします。
年収、職業、年齢、将来性・・・と様々な条件を結婚相手に求めるでしょう。むしろ、男性以上に女性の方がそうした側面が強いように感じる気もします。
しかし、岡本太郎さんの言葉には明確に「そんな男」という言葉が登場しています。
男性に対して常に激しい「感性」を生じさせてくれる「女性」。そんな「女性」に対する岡本太郎さんの男性としての敬意のようなものが、この言葉の中にはあるのかもしれません。
岡本太郎さんは恋多きプレイボーイだったと言われていますが、一方で徹底したフェミニストで、恋愛に対してロマンチストだったそうです。
最後には岡本敏子さんという事実上のパートナーを、「結婚」という形ではなく「養女」として共に添い遂げることを選択しています。
また、日本ならではの封建的かつ閉塞的な男女関係を批判しており、女性を見下すような発言に対していつも噛みついていたというお話もありました。
いつの時代も、女性は皆、男性から特別な女性として「評価」されるように、着飾ったり、体型を気にしたり、料理や家事をきちんとできるようにと努力してきました。
さらに現代では「男性並みに社会で稼げる」ことも求められそうな時代となっています。それは女性の経済的自立が果たせて、きっと良いことでもあるでしょう。
でも、そんな中で、やはり岡本太郎さんの言葉が、今だからこそ、一層、響いてくるのです。
相手にとって
便利で有益であること
でしか選ばれないのが
ワタシなのか?と。
それは社会の仕事で、報酬と引き換えにいくらでも提供し続けてきたことではないのか?無二のパートナーとの関係においても私は、それ以上に誰よりも相手にとって「便利」でなければならないのか?
こんなことを考え始めた時、そこにはもはや人間同士の「情熱」や「愛」などという儚いものは永遠に消えてなくなってしまっている気がします。
私たちがここで失くしてしまうものは、岡本太郎さんにとってはきっと宝のようなものの全てです。それらを私たちはこの社会の毒にさらされて失ってしまう。
そんなことを思う名言でした。
◆私の離婚に対する自責の念を取り払ってくれた岡本太郎さんの言葉
ちょっと、この名言で私は、個人的に思い出したことがありました。とっくに遠い彼方に忘れていた事でしたが、私は元夫と離婚を決める直前に
「おまえは俺にいったい何をしてくれるの?」
と聞かれたことがあったのです。すっかり忘れていました(笑)。
私は、当時ワンオペで家事も育児もやってパートもしていて、とても孤独でした。
それでも、彼との家庭を必死に支えているつもりでもいました。でも、彼にはまだ私は十分に便利ではなく、いつも満足とは程遠い足りない人材で、役立たずだったのだと思い知った言葉でもありました。
その後、離婚を決断し、別々の人生を選んだものの、離婚後これまで10年間の間に、何度も
彼との生活を軌道に乗せることが出来なかった自分、結婚生活に耐えられなかった自分を、どこかで「責め続けてきた」自分が居た気がします。
けれども、今回の岡本太郎さんの言葉を知って、
(ああ、私はあの時もきっと、今考えているより未熟だったわけではなくて、あの時の自分の感性でしっかりとちゃんと宝物を守るために選んで、ここまで進んできたのだ)
と、知ることが出来ました。
少しだけ、前進させてくれた言葉となったのでした。
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