加賀まりこの批判に打ち勝つ名言「無難を狙うということは・・・」

■有名人のことば・名言

今回は若い頃に小悪魔女優として人気を得つつも、奔放な発言で批判の多かった加賀まりこさんのことばです。自分の人生、思想、自分自身を愛するための名言を紹介します。

◆加賀まりこの批判に打ち勝つ若い頃の名言は「はき違えた共感」が蔓延する現代に本質を突きさす言葉になっている

 

加賀まりこ(かが まりこ)
1943年-(2020年77歳)

 

 

加賀まりこさんは若い頃から小悪魔的な魅力と美貌を備え、「和製ブリジッドバルドー」と呼ばれるなど注目度の高い女優さんでした。

 

 

また、加賀まりこさんが芸能一家のお嬢様として育ったことも影響してか、歯に衣着せぬ毒舌奔放な振る舞いが個性として目立ち、それがマスコミにも叩かれる要因となりました。

 

 

けれども、その多く批判された『毒舌』とは、『肩書き・名刺など「実体のない権威をかざす奴」は嫌い』など、はっきりとした自分の真っすぐで純粋な意志を、若い頃から貫いてきただけのことであり、

 

 

当時、批判された理由は日本の国家や文化が長年女性に対して強いてきた『奥ゆかしい女性』としての振る舞いではなかったということだったのだろうと思います。

 

 

自分の信念を貫き通すことの代償として、多くの批判を浴びてきた若い頃の加賀まりこさんだったのでした。そんな加賀まりこさんの言葉として残っている名言があります。

 

「無難」を狙うことは、
自分の人生を手放すこと。

加賀まりこ

 

批判をされても何を言われても、私という個はその個であり続けるために信念を曲げない。誰にも媚びることで生きることなどしない。そんな「生」を生きる意味はない、そうした強い想いがこの言葉から伝わってきます。

 

「共感」ということがテーマになりつつある令和時代に、「批判されないこと」「敵をつくらないこと」を何よりも最優先にし、「力があるものへ媚びることで生きながらえる」という生き方が世界的に蔓延している中で、とても刺してくるものがあるメッセージの言葉となっています。

 

 

◆加賀まりこが危惧していた「自分の人生を手放すこと」の意味

 

女優という最も過酷な世界での人気商売の道を進んだ加賀まりこさんが、若い頃にぶち当たったのはのは「人気」ということの意味だったのだろうと思います。

 

 

人気は人を幸福にするのか?

 

特に加賀まりこさんが目指した女優という商売は、出来るだけ多くの頭数の人々から支持されるような人気女優になることが、一般的には目指すべき方向性だったと思います。

 

 

しかし、加賀まりこさんには、若い頃からそのテンプレートを自分に入れることは出来ませんでした。「表面的に無難で喜ばれそうな、本当は1ミリも思ってもいないような嘘」をつき続けること、そういう本来の自分ではない、相手が望む自分を演じ続けることに対して、耐性がありませんでした。

 

 

私自身も、同じような若年期を送ってきた自覚があるので、これがいいことか悪いことかというのは、正直私には分かりません。しかし、きっと本人の中では、もしここにその耐性があったらきっともっと無難で楽に転ばずに生きてこられたはず、という思いはあっただろうと思います。

 

 

無難のカタチが分かっていながら
わざわざ選ばなかったのは

自分にとって存在意義のある
「個」であり続けるため。

 

 

非難されても非難されても、そうした自分の信念に対して正直さを貫き続け、潔癖に生きてきたことは、やがていつか、「すごくバカだけど、いいと思う」と言ってくれる「少し大人になった自分」を形成します。自分が人生の最期まで付き合うことになる本当の伴侶である内側の自分が、自分の健闘をたたえてくれることになるのです。

 

人生における
本当の伴侶は自分自身。

 

また運が良ければ、稀にそうした内側の自分と同じような感性を持って、他人である自分を愛してくれる変わり者に出会えることもあるかもしれません。それはニセモノを愛する1万人のファンよりも尊い存在となり得るでしょう。

 

 

自分自身の人生を手放すこと、つまり自分自身すら存在価値を認められない透明になる人生を送ることは、ただただツライだけで「何を頑張っても本当に欲しいものは最後まで手に入らない」ということを加賀まりこさんは若くして知っていたのだと思います。

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